考えてきたことしか、考えられない。
「脳内メーカー」ってあったじゃないですか。流行ったじゃないですか。
名前を入力したら「あなたの脳内はこんなことで占められています」みたいな分析結果がイラストで表示されるやつ。
これ、ぼく定期的に考えるんですよね。いまの自分の脳内を円グラフで表示するとしたら、なにとなにとなにで占められてるんだろうなあ。それは、どんな割合で、どう拮抗したり独占したりしてるんだろうなあ、って。
脳内メーカーの場合、「食」とか「欲」とか「休」とか「金」とか、抽象的な一文字で表示されていたけれど、実際の脳内というのはもうちょっと身も蓋もなく即物的なはずで。
たとえばぼくはきのう『2001年宇宙の旅』を観たから、きょうの脳内の何パーセントかは『2001年〜』や「キューブリック」で占められているはずで、あるいは一昨日に観た「ポール・マッカートニー」が何パーセントか入っていたり、いま抱えている仕事がそれぞれ数十パーセントずつの陣地を占拠してて、ほかにも犬だったり、友人だったり、家族だったりが入っているはずで。細かくつくればキリがないけど、日々割合の変動する円グラフが、あたまのなかにあるはずなんですよ。
で、仮にきょう、新作映画を観たとしますよね。たとえば本日公開となった『ヴェノム』とかを観たとしますよね。観れば脳内の何パーセントかをたぶん、『ヴェノム』が占めることになりますよね。きのうまでは存在しなかった領域が、そこにできますよね。
でも、それは「まったくあたらしい領域」ができるわけじゃないんですよ。おそらくずっとあたまの片隅を占めてきた「映画」の領域が拡張されたり、あるいは「マーベルもの」の領域が拡張されたり、「ダークヒーローもの」の領域が拡張された結果の話であって、もともとゼロだったわけじゃない。種となるなにかは、すでにあるはずなんです。
というわけで、きのう観た『2001年宇宙の旅』IMAX版。
いま、あたまのなかの2割くらいをこの映画が占めているんですが、それはどの領域を広げながら考えているのかなあ、おれはどこを使ってあの映画を想っているのかなあ、なんてことを考えると、自分の来歴が見えてくるようでまたおもしろいものです。