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ちやほやの行方

「あなたの尊敬する人は誰ですか?」

この質問に、顔の見える人の名前を即答できる人間でありたいと思う。そして自分が尊敬する人について、自伝や評伝を熟読するのはもちろん、雑誌記事までくまなく読みあさり、なんなら年表さえつくれちゃうくらいに入れ込むことは、とても大事なことだと思っている。

なぜか。

たとえばぼくが、スティーブ・ジョブズという人のことを尊敬していたとしよう。ジョブズがいつ、どんな状況で、なにをやったのか、すらすら暗唱できるくらいに好きだったとしよう。

すると、あたまのなかのジョブズは、適時しっかりぼくを戒めてくれるのだ。実際ウィキペディアで調べたところ、いまのぼくと同い年のときに彼は、アップルへの劇的な復帰を果たし、翌年の iMac 発表の準備に奔走している。

あるいはジョブズが「いまのおれ」くらいの立場にいたとき、どのような毎日を過ごし、どのように振る舞っていたのかを考えるだけでもいい。きっとそこから返ってくる答えは、「そんなことやってる場合じゃねえだろ、お前」であり、「この程度で調子こいてんじゃねーぞ、たこ」なのだ。

その意味でいうと、「えっ、尊敬する人? 別にいないっすねえ」は、強そうでありながらじつは弱く、脆い。自分を戒めてくれる人は、自分から探し、自分から食らいついていかないといけないのだ。


いや、なんかね。きのうから韓国に来ているのですが、この国に来ると毎回、「先生」として熱烈歓迎していただいて、あやうく調子に乗りそうになる自分がいるんです。

ちやほやは人を堕落させます。ちやほやの誘惑に負けず、「先生」の誘惑に負けず、ちゃんと「あの人」を見ながら生きていかねばと心に誓う、秋の韓国でした。