ほんとうの主役はどこにいる?

たとえばビートルズの「ルーフトップ・コンサート」。

解散への道をひた走っていた彼らが、ゲット・バック・セッションの総仕上げとしてアップル・レコード本社ビルの屋上でおこなったゲリラ・ライブだ。後の証言によると、このときメンバーは警察に逮捕されることを覚悟していたし、むしろそれを映画『レット・イット・ビー』のラストシーンにしたかったのだという。

そういう、いかにもロックっぽい武勇のストーリーを抜きに見ても、このフィルムはほんとうにかっこいい。同年に開催されるウッドストック・フェスティバル以上に、ぼくなどはしびれてしまう。

かっこよさの理由は、モブキャラだ。

ときおり挿入される、いかにも英国紳士然とした通行人たちと、その怪訝な表情。どう対処すべきか戸惑う警察官たちの表情。ハラハラしながら演奏を見守るスタッフ。そして愉快犯のように笑顔を浮かべ、びっくりするくらいの寒空の中(奥さんのコートを着て)演奏するメンバーたち。

この真面目とイタズラの対比が、交錯するさまが、たまらなくかっこいいのだ。ドキュメンタリーとしてこのフィルムを見るとき、その主人公は間違いなく通行人であり警察官だと、ぼくは思う。


似たような場面を描いた映画でいうと『ゴッドファーザー』が挙げられる。

たとえばPART1冒頭の結婚式。あるいはPART2冒頭のパーティーと、終盤の公聴会。画面のまん中で演技するアル・パチーノの背景として、あたかもなんの演技もしていないかのようなモブキャラたちが描かれる。その演技と非演技の交錯のなか、ぼくらは壮大なリアルを感じる。


安っぽい時代劇やヤクザ映画が安っぽく感じられてしまうのは、そこに「いかにもなお侍さん」や「いかにもなヤクザ」しか登場せず、普通の顔をして普通に振る舞う普通の人間が描かれていないからだ。


……というような話を、きのう友だちとしました。もうちょっとうまく言いたかったのだけど、なかなかうまいたとえが浮かばず、今日になってビートルズのあの映像を思い出したんですよ。

桃栗三年、カキうまいねん。
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古賀史健