雑談のなかでこぼれた、ひとつの定義。
会社をつくってよかったな、と思うことがいくつかある。
毎日オフィスに通う習慣・リズムができたこと、家で仕事をしなくなったこと、雑になりがちだったお金の管理がまともになったこと、ひとりでいるより多少はまじめに「これから」を考えるくせができたこと、いろいろよかった。
なかでもこれはよかったなあ、助かってるなあ、と思うのが、雑談相手ができたことだ。もしぼくがいまでも個人事務所だったら、雑談の相手が身近にいなかったら、ぼくはもっと積極的で面倒くさい SNS おじさんになっていた可能性がかなりある。
先日、会社で雑談していたとき、「ビジネス書ってなんでしょうね」という話題になった。
たしかにビジネス書の定義はむずかしい。「仕事に役立つ実用の本」あたりがことば本来の意味なのだろうけど、正直まるで実用の体をなしていない勢いだけのビジネス書も多いし、自己啓発(self-help)本の大半も、日本ではビジネス書にカウントされる。
ぼくは、前々から思っていた定義を口にした。
「もうさぁ、なんらかの《対象読者層》を想定してつくられた本は、ぜんぶビジネス書って言ってもいいんじゃないかなあ」
この層に向けて、こうしよう。あの層はこうだから、こんなふうにしよう。そういったターゲティングらしきものに基づいてつくられた本はもう、ぜんぶビジネス書なんじゃないか。そしてぼくは、そこにある「操作」的な発想が嫌になり、ビジネス書から離れようと思ったんじゃないか。ありもしない「層」を対象としない、もっとおおきくて野放図な本だけをつくりたがっているんじゃないか。
この定義が正しいのか間違っているのかなんて、どうだっていい。
ただ、雑談相手がいなかったら、ことばにするのにもう少し時間がかかった定義だと思う。そうだよ、おれは《対象読者層》を想定しない本をつくりたいんだよ。じゃないと、おおきくジャンプできないんだよ。