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ことばを尽くす、ということ。

きのう、「ことばを尽くす」ということについて考えた。

きっかけは、ほぼ日刊イトイ新聞で公開された『岩田さん』の1章から3章を読み返したからだ。最初に読んだときと同じく、ぼくの感想は「岩田さんにお会いしてみたかったなあ」だ。より正しくは「岩田さんとおしゃべりしてみたかったなあ」だ。取材でもいいし、雑談の末席におじゃまさせていただくのでもいいから、一度おしゃべりしてみたかった。そのことばを、直接聴いてみたかった。

ここにいる岩田さんは、とにかく「ことばを尽くす人」だ。伝えたいことがある。伝えたい人がいる。伝えるためにことばはある。だったらことばを、さぼるわけにはいかない。ことばを尽くして伝えていこう。そんな思いが根っこにあるからこそ、岩田さんの理路整然は相手を追い詰めない。「わたしはこう思うんですけどね」の姿勢を崩さないままニコニコと語り、こちらを気持ちよく「わたしもそう思う」にさせてしまう。


ことばを尽くして語ることは、じつは案外むずかしい。

対象への深い理解がないと、ことばを尽くして語れない。1から10へと飛躍するような、いきなり結論に飛んでいくような話になる場合がほとんどだ。結論だけなら誰でも思いつく。学ぶことも、暗記することもできる。考えるとは、そして理解するとは、あいだにある2から9を自分のことばでつないでいくことだ。


……なんてことを考えながら、「ことばを尽くす」に関してひとつおおきなキーワードを思いついたのだけど、それは現在書き進めている『ライターの教科書(仮)』のなかで論じてみようと思っている。

ことばを尽くした本にしたいなあ。しなきゃなあ。