わんぱく博覧会。
「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」。
むかしの丸大ハムに、そんなCMコピーがあった。ひょっとするとCMを知らない世代の方々は、野性味あふれるハムをつくろうと燻製室で煙にまみれながら懸命に働くハム職人の姿を思い浮かべるかもしれないが、そんなCMではない。CMの登場人物は父と息子。やたらワイルドな父が、大自然のなかで息子と寝食を共にし、豪快にハムを焼きながらこころのなかで願うことば。それが「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」なのである。
いま、うちの犬はとてつもなく「わんぱく」である。
女の子だったら「おてんば」と呼ぶのが日本語の正しい用法なのだろうけど、男の子なので「わんぱく」でよろしかろう。たくましく育っているのは間違いないものの、それにしても「わんぱく」が過ぎる。
近々、わが愛息は去勢手術を受ける予定でいる。すこしだけ可哀想な気もするけど、なんというか、それは人間と一緒にこの社会で暮らすうえでの約束だ。いろいろあったけど、一緒に暮らせてよかったな、と思ってもらえるような家庭をつくっていくしかない。
それにしても去勢をしたら「わんぱく」が多少は減じるのだろうか。仮にそうだとした場合、過剰なまでの「わんぱく」が薄れていった場合、ぼくはどんなことを思うのだろうか。
このタイミングで甘やかすようになっちゃった、という親御さんたちの話はよく耳にする。それは後悔のことばとして語られるよりむしろ、てへぺろ的な、ダイエット中にケーキを食べちゃった的な、肯定的な諦念をともなった告白であることが多い。
甘やかしたらラクなんだろうけどねー。
それが幸せかどうかはわかんないもんねー。
と、すみません。また犬の話を書いてしまいました。