来週のいまごろ、おれはきっと。

きのう、ある方のツイートを見て、大笑いしてしまった。

週間天気予報の画面に「1月1日」が入っちゃってる、年の瀬はもうそこまで押し迫っている、という内容だった。いやいやいや。本来なら戦慄しつつ年内に締切を設定した原稿に取りかからなくてはならないのだけど、なのに引越の最終決着、会社の登記(本店移転)手続き、新オフィスで急きょ必要になった諸々の買いもの、紛失したかと思われた鍵の捜索活動に追われるなどして、なかなか原稿に取りかかれずにいる。

結果ぼくは、戦慄よりも先に大笑いした。こまったときには笑ってしまえ。それはぼくにとって、わりと大事な処世術だ。

わりと多くの人がそうだと思うけど、いまぼくの机の上には卓上カレンダーが置いてない。ヤマト便の不在票とか、あたらしい住所の記載された新名刺とか、請求書のコピーとか、チタン製はさみとか、肌荒れ・にきび・口内炎に効くジェネリックのビタミン剤とかは置いてあるのに、卓上カレンダーは置かれていない。結果、せいぜい知ってるのは今日・明日の予定くらいで、来週のことなど予定はおろか、日付すらわからない。つまりこれは「フリーでやってると曜日感覚がなくなる」という自虐的自慢話ではなく、ただ単に Googleカレンダーがあれば卓上カレンダーなんてオワコンだぜ、と思わされた2010年代以降に顕著な、デジタル性の曜日健忘症である。ディスプレイの横、視界の端っこに卓上カレンダーを置いておくことは、おのれの現在地を知るのにおおきな役割を果たすのだ。買おう、来年のおれ。


と、役立つ話もおもしろい話もまるで思いつかないくらいに2018年は、しんしんぐんぐん暮れつつある。さきほど、仕事を中断して宅配業者から受けとったカーテンをまぶしすぎる窓に設置したのだけど、採寸を間違えてしまったのかこれが見事に寸足らずで、いまぼくは「寸足らずのカーテンはひどくさみしいなあ。思えばおれの人生、ぜんぶが寸足らずのカーテンだよ」などと落ち込んでいる。

来週のきょうは、もうあけおめだよ。おせちにおもち、初詣だよ。

それまでにいろいろ、片づけよう。部屋だけではなく、仕事だけでもなく、こころのいろいろをすっきり片づけよう。

年の終わりとはきっと、そのためにあるのだ。


出る釘は浮かれる。
99

古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。