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退屈だけど、ほんとうのこと

小学校を卒業するときのこと。担任のM先生が、卒業文集にこんなことばを寄せてくれました。

「継続は力なり」

生意気だったぼくは、なんて退屈な人生訓だろう、と思いました。もっと気の利いた、もっとわくわくすることばを聞かせてくれよ。卒業というのに、けっきょくそんなお説教かよ、と。

そして長らく「一発逆転」を座右の銘として、なんら計画性のないフリーランス道を生きてきたぼくですが、最近になって、ふと気づくわけです。

あれ? もしかしてオレ、「継続は力なり」って言ってね? と。

キャリア的に、若手から中堅へと移行し、へたをするとベテランにさえ数えられてしまいそうな年齢に差し掛かり、ライター講座的なものにお呼ばれして、あれこれお話しする機会も増えてきました。自分よりもうんと若い編集者さんと組んでお仕事をし、「いろいろ教えてください」と言われる立場にたたされることも増えてきました。

そこでぼくが言えること、これだけは確実に言えること、そのへんを煎じ詰めていくと、けっきょくは「継続は力なり」的な、若いひとには退屈きわまりないことばになってしまいます。「実直でありなさい」だとか、「誠実でありなさい」だとか、頭髪を金や赤に染めていた(ほんとに)自分が、せせら笑って聞き流していたような、おっさんワードしか出てこないのです。

とんがったこと、若き人びとの血をわくわくたぎらせるようなこと、ガーン、とか、ドーン、とか、バァーン、みたいなことが、ぜんぜん言えないのです。

まいったなあ、と思います。退屈だろうなあ、と思います。

「実直であれ」とか「誠実であれ」に漂う加齢臭の正体って、守りに入ったひとの、安定を求めることばに聞こえるところにあるんでしょうね。そのへん、「ほんとうの実直」や「ほんとうの誠実」が、どれほどデンジャラスで困難をきわめる「攻め」のことばなのか、みたいなところをしっかり伝えられたらいいなあ。

実直こそ攻め、ですよ。