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聞きたい人が、好きな人。

きのう、幡野広志さんとのトークイベントに参加した。

ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』の刊行記念トークイベントだ。この本について、幡野さんと一緒にこのような場でおしゃべりするのはもう三回目になる。最初のときは池袋で、糸井重里さんをお招きしての鼎談だった(後日コンテンツ化の予定です)。二度目のときは大阪で、田中泰延さんをお招きしての、やはり鼎談だった。そして今回の三度目、はじめて幡野さんとふたりきりでおしゃべりすることになった。

同じテーマでもう二度もおしゃべりしているため——そして一緒に取材を受けたりもしているため——幡野さんとぼくのあいだにはもう、この本を語る際の台本のようなものが、ぼんやりとできていたりする。この要素と、あの要素と、時間があればこっちの話と、それぞれできればまとまるよね、みたいな共通認識ができあがりつつある。

それをいまさらテープレコーダーのように再生したところで、ぼくらもおもしろくないし、お客さんもおもしろくない。そこできのう、ぼくは「幡野さんに訊けなかった10の質問」なるものを用意して、なかば公開取材のようなかたちで質問をぶつけていくことにした。


ああ、こういうことか。


あっという間に予定時間をオーバーしながらぼくは、壇上で深く納得した。あれだけたくさん話をきいてきたはずなのに、おしゃべりを重ねてきたはずなのに、ぼくは幡野さんに訊きたいことがまだまだたくさんある。大事なことからくだらないことまで、もっともっと訊きたいし、聞いていたい。

思えばぼくにとっての「好きな人」は、「もっと話を聞きたい人」と、ほとんどイコールだったりする。いくらでも質問を思いつくし、その答えを聞いてみたい。質問と答えというかたちでなくとも、その人の話に耳を傾けていたい。そういう人が、ぼくにとっての「好きな人」だ。

この人はかしこいなあ、あの人は立派だなあ、とは思いつつ、積極的に「聞きたい」にまではたどり着かない人も大勢いて、それはつまり尊敬しながらも「好き」ではないのだろう。


幡野さんとのトークイベントはきのうでひと段落したけれど、またどこかでたっぷり、おしゃべりしたいな。

合計三回のトークイベント。お越しくださったみなさま、ほんとうにどうもありがとうございました。