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海外に行ったつもりで。

たとえば地方から友人が、東京に来たとする。

目的としては観光だ。観光において大切なのは「来たなあ」の実感であり、「行ったなあ」の思い出である。そこで友人を、都内のそれらしき場所に案内する。東京タワーでもいいし、スカイツリーでもいい。スカイツリーのついでに浅草寺に行くのもよかろう。ともあれ東京を象徴するような景観のある場所に案内する。あとはお気に入りの飯屋にでも連れて行って、おいしい料理を食べながら雑談していれば、それが立派な思い出となる。東京案内となる。

そうやって考えた場合、ぼくの出身地である福岡は、なかなかに案内のむずかしい土地だ。これぞ福岡と思わせるほどの建造物も特になく、景勝地も特にない。福岡のでかい建物と言えば、福岡タワーやドーム球場が挙げられるものの、いかにも商業施設然とした建物でありがたみは少なかろう。太宰府天満宮にしてもその歴史を聞けば「へえ」くらいは思うかもしれないが、それ以上の感慨があるとは考えにくい。そのため修学旅行生を、学問を修めるための旅行と称して引率することはけっこう困難に思える。

一方、修学などという建前を気にしない大人であれば、いくらでも案内できる。昼間の過ごし方はわからないけれど、とにかく夜を待って中洲の屋台に連れて行けばいいのだ。屋台でうまい飯を食い、たくさんの酒を飲み、静かに過ごそうとしても絡んでくる地元常連客と語らいの時間などを持てば、それが「行ったなあ」の思い出になるだろう。飯のうまさは折り紙付きだ。

と、もはや福岡にも住んでいないし、よその誰かを案内する機会もないのにぼくは、「どこに連れて行くかなあ」のシミュレーションをたまにやる。そのいちばん手っ取り早い解として、中洲の屋台を思い浮かべる。

けれども最近、それだけじゃつまらんと思うようになった。考えてみればぼくが上京した際、東京にいちばん驚いたのは醤油である。さして上等な舌を持ち合わせているわけではないので、機微におよぶ違いはわからない。ただ福岡では当たり前のものとして提供される「刺身醤油」の不在に驚き、さらさらの、いわばふつうの醤油で刺身を食べるという食文化に吃驚したのだった。刺身とは、あのどろどろに濃くて甘い刺身醤油で食べるからこそ刺身なんじゃないかと訝しんだ。

もっとも現在、刺身をふつうの醤油で食べることについて、なんら不都合は感じない。それが当たり前の舌になった。とはいえ濃厚な刺身醤油で食べる刺身も——もうずいぶんと食べていないけれども——きっとおいしいだろうと想像する。そして福岡の地を訪れた人には、ラーメンやもつ鍋ばかりでなく、できれば当地の刺身を当地の醤油で食べてほしい。そのおもしろさを、「行ったなあ」と持ち帰ってほしい。そして刺身を提供する屋台は少ないので、どこかおいしい刺身を提供する店にも連れて行かねばならない。どこに連れて行くのが最適解なのか、いまのぼくにはその知識がない。

うーん。ぼくにとっての福岡行きはどうしても「帰省」になってしまうのだけれども、一度しっかり観光客として福岡に行ってみたいなあ。3泊か4泊、また一週間くらい滞在するには、あんなに気持ちいい場所もないと思うのだ。食いまくって太りまくるだけの旅。海外に行ったつもりで思いっきり贅沢したら、たのしいだろうなあ。


本日、8月15日は「刺身の日」であるという。

こうやって記念日にかこつけたテーマで書いていけば、いくらでも書くことがあふれてきそうだ。ちなみに明日の8月16日は「電子コミックの日」。明後日の8月17日は「プロ野球ナイター記念日」。なかなかにむずかしいお題を突きつけられている気がする。