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わたしの「なんか損した気分」。

「なんか損した気分」になることがある。

たとえば、あれはアメリカーノというのだろうか。通常のコーヒーを注文したつもりで待っていたら、エスプレッソをお湯で薄めたやつを出されることがある。そっち方面に不勉強なぼくは、それをイギリスの地ではじめて飲んだ。ふざけるなイギリス、なんたる愚食の国か。と、おのれの不勉強を棚に上げつつ憤慨し、二度とこんな国でコーヒーは飲むものかと心に誓った。数年後、美食の国であるはずの日本において、しかもけっこうオレらコーヒーに力を入れてます、的なたたずまいの店において、同じエスプレッソのお湯割りを出され、「もしや」と調べたところ、そういう飲み方があるのだと知った。

けれども、その「お湯で薄める」という行為に対して、なんか損した気分が拭えなかった。そういう飲み方があること、それはそれでそれならではの味わいがあること、決してズルしてるわけではないことを胃袋の底から了解し、そういうコーヒーをおいしく飲めるのに数年の歳月を要したと記憶している。


似たような感覚でいうと、麻婆豆腐丼も苦手である。麻婆豆腐は大好きだ。そして麻婆豆腐を食べるとなれば、白いごはんは欠かせない。白いごはんにのせつつ食べる麻婆豆腐は絶品である。にもかかわらず、麻婆豆腐丼には「なんか損した気分」が拭えない。どこかごまかされたような、お店側の怠慢に付き合わされているような、こっちの楽しみを奪われてしまったような、微妙な損を感じてしまうのだ。


わたしはなにを言っているのだろうか。なにも言っていない。ただ、きょうのお昼に買ったコーヒーがエスプレッソのお湯割り系だっただけであり、そのカップがいまだ机の上に乗っているのであり、きょうはとてつもなく忙しいのであり、書くことが「このコーヒー」くらいしか思い浮かばなかったのである。


毎日書いてると、こういうなにも言っていない駄文も「そういうにぎわい」としてオッケーになり、むしろあとで読み返すとこっちのほうがおもしろかったりするものなんですよね。

毎日書くって大事です。