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noteの「感じ」を、ひと言でいえば。

もともとが少なすぎるんじゃ、というご指摘はあるだろうけれど。

気がついたら note のフォロワー数が、twitter でのフォロワー数を超えていた。まだ数百の差ではあるものの、勢いから考えるにたぶん、今後ますます note のほうが増えていくんじゃないかと思う。

ぼくは、積極的な twitter ユーザーでは到底ない。おもしろい投稿は皆無に等しく、もっぱら告知と友だちとのおしゃべりに、twitter を使っている。バズる、という経験もゼロと言っていい。だからこの数字自体におおきな意味を求めようとは思わないのだけど、note はよく続いているし、いいサービスだと思っているし、せっかくの機会なので note という場についての所見を書いてみたい。「ここがいいよね」と「ここは改善されるとうれしいなあ」との両方を。


ブログ、ということばが正しいかどうかはわからないけれど、ぼくはこれまで何度かインターネット上に「ウェブ日記」とでも言うべき個人的書きものを残してきた。90年代後半には個人ホームページを運営していたし、mixi でも半年以上にわたって毎日日記を書いていたし、正真正銘のブログに挑戦したこともある。書いている環境(パソコンやキーボード)に、劇的な変化はない。けれどもなぜか note はいいな、書きやすいな、と感じている。その理由をひと言でいえば、

ブログはWindowsっぽくて、 noteはMacっぽいのだ。

インターフェイスの設計思想が、デザインが、ひたすら Mac的であり、つまりはシンプルで直感的である。わかりやすい話をするなら、仮に今後 note が国民的・全世界的なサービスに成長していったとしても、『初心者でもわかる! はじめてのnote』みたいな解説書は出版されないだろう。だって、そんなものを読まなくても触っていればわかるのだから。

それに対して、ぼくが過去にチャレンジしたブログ的なサービスは、なんだかんだとわかりづらいところが多く、書いてから公開するまでのステップも多く、デザイン的にもごちゃごちゃで、要するに Windows的だった。ここの差は、かなりおおきいと思う。シンプルな UI のおかげで、いい書き手が集まり、書き手の定着率・継続率も高まり、それがいい読者を呼び込み、結果としてあたらしい「場」が育っていく。

おまけに言うと、note で人気を呼んでいる記事も、どことなくMac的というか、「シンプルでかしこい」ものが多いような気がする。


もうひとつ、ぼくがいいなと思っているのは、「編集部」の顔が、おぼろげながら見えることだ。

編集部やエンジニアチームの存在が垣間見えるため、ぼんやりと「noteはどこに行こうとしているのか」や「noteはなにに価値を置くのか」、あるいはもっと感覚的に「noteはなにを美しいと思うのか」を共有できる。少なくとも共有できた気にさせられる。これはチーム内の意思統一が不可欠なのはもちろんのこと、人海戦術に頼らざるをえない部分も多いはずで、よくがんばってるなあと感心するばかりだ。

また、note最大のおもしろさは課金システムなのだろうけど、ぼくは書き手としても読者としてもそれを使っていない(単体記事の購読は、3度ほど試したのだけど、正直いずれも「読まなきゃよかった」としか思えなかった)ので、なにも言えない。

もちろん課金システムを否定するつもりはまったくないし、応援したいし、ぼく自身も「これだったらいける!」というアイデアが浮かべば、利用させていただく可能性はおおいにある。ただし、そこでのアイデアとは、コンテンツレベルの企画ではなく、「ビジネスモデルそのものの発明」に近いくらいの、おおきな地図ができるようなアイデアだ。


改善してほしいポイントについては、じつはあまりない。

・写真にキャプションをつけたい
・過去記事をまとめて(複数選択して)マガジンに追加したい

ぼくの使い方であれば、せいぜいこの2点くらいだろう。


ともあれ、ぼくはこの note という場の週日更新をあとどれくらい続けるのだろうか。書きながらいま「あと何年くらい続けるのかなあ」と考えた自分がいるので、少なくとも数年間は続けるつもりなのだろう。

もしかしたら twitter よりも長続きすることになるかもしれない。