見出し画像

「海のミルク」と「森のバター」。

お昼ごはんに、カキフライを食べた。

会社近くのとんかつ屋。カキフライの提供がはじまったことを告知するテーブル上のメニュー板には「海のミルクとも言われる栄養豊富な逸品です」みたいな文言が記されている。さて、こういうときにひねくれ者のぼくは、いつも思う。海のミルクってなんだよ、と。

たしかに牡蛎はミルクめいた乳白色をしている。しかしそれならホタテだって乳白色だ。そうした見た目の話ではなく、やはり栄養価についてミルクになぞらえているのだろう。牛乳くらい栄養満点なんですよ、と海のミルクの発案者はおっしゃっているのだろう。

だったら牛乳飲むわ。

それが無粋な言いがかりであることを承知で、ぼくは思う。お茶の代わりに牛乳を飲んだら、それで一緒にとんかつでも食べたら、栄養満点どころか110点の栄養が得られるではないか。それにおれ、好きだぞ牛乳。


同じような言いまわしに「森のバター」というものがある。アボカドを形容するときに使われることばだ。アボカドがほんとうに森に自生しているのかどうかはぜんぜん知らないけれど、こちらはすんなり納得できる。たしかにアボカドはバター的な舌触りや濃厚さを持っているし、うまくやればバターの代用品にもなりうる。カリフォルニアロールを発明した人は天才だと思う。

けれどもひとつのキャッチコピーとして考えるならば、その印象深さはたぶん「森のバター」よりも「海のミルク」に軍配が上がる。

その理由は「距離」だ。


「森」と「バター」。そして「海」と「ミルク」。

バターもミルクも同じ乳製品である。牛のお乳である。そして牛からの距離で考えると、物理的にも概念的にも、断然「海」のほうが遠い。比喩とは、ものすごく遠くにあるものをうまくジョイントさせたとき、その効果をより高めていくものなのだ。

なんてなことを考え、ひとり納得しながら食したカキフライ。いま、ほんの少しおなかが痛くなっている。