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ワンダフル・トゥナイトと無精ひげ。

「ワンダフル・トゥナイト」という曲がある。

エリック・クラプトンによる1977年のヒットソングだ。なんとも甘ったるいというか、過剰にもほどがあるくらいメロディアスなバラードで、たとえば「ティアーズ・イン・ヘブン」という曲もそうなのだけど、クラプトンという人はどうも自身の音楽的ルーツ(ブルース)とはかけ離れた場所で代表曲が生まれ、評価され、消費されて誤解を招き、とはいえおかげでいつの時代もポピュラリティを獲得している、という厄介で幸運な星の下に生まれている気がする。

そんな「ワンダフル・トゥナイト」、冒頭の歌詞はこんな感じだ。

It's late in the evening; she's wondering what clothes to wear
She puts on her make-up and brushes her long blonde hair
And then she asks me, Do I look all right?
And I say, "Yes, you look wonderful tonight

あきらかにジョージ・ハリスンから寝取った妻、パティ・ボイドのことを歌った歌であり、パーティーに出かける前、髪をとかして身支度する妻を眺めながら「ああ、とってもすてきだよ」なんてのろけている歌に聞こえる。

しかしこれ、よく読んでみるとぜんぜん別の情景が浮かんでくる。

パーティーを前に、もうすっかり身支度を整えたクラプトン。ところが妻はのんびりと髪をとかし、こっちの服を着ては違うと言い、別の服を着てはやっぱりあっちのほうがいいかしらと迷い、ああでもないこうでもないと悩んでいる。何度も腕時計に目をやり、時間が過ぎていることを暗に伝えるクラプトン。そしてパティがどれかのドレスを着て、「これでいいかしら?」と訊ねる。クラプトンはほとんど見ることもなしに「ああ、いいいい。ワンダフル、ワンダフル。とってもワンダフル・トゥナイトだよ。だからさっさと行こう」。……と、身支度に時間のかかる妻を、なだめすかしている歌なのだ、これはきっと。

という話をある女の子の前でしたところ、彼女はこんなふうに反論した。

以下、その意訳である。

化粧もせず、髪も短いあんたにはわからないだろうけれど、たとえば髪を整えることだって、化粧をほどこすことだって、その日の気候や会場の雰囲気や自分の立場にあわせた服を選ぶことだって、ほんとに大変なのだ。こっちだって急いでるし、早く行きたいのは山々なのだ。なんなら一回、化粧をしてみろ、このトーヘンボク。

たしかにぼくは短髪で、化粧というものもしたことがない。以前、何度かテレビに出させていただいたとき「化粧らしきもの」をされたことはあるが、あれは化粧というよりドーランだ。たしかに毎朝あれをやること、そのために男どもより少し早起きをすること、あらゆる予定について「化粧をする時間」を込みで計算すること。それはひどく面倒なものだろう。


という話を書こうと思ったのは、別に通勤中「ワンダフル・トゥナイト」を聴いたからではない。朝、ひげを剃っているときに「女の子はこの時間がなくてラクだろうなあ」と思い、いやいやこの時間がない代わりに化粧の時間があるのだ彼女たちは、それはお前、ひげ剃りどころじゃない面倒だぞ、と思いなおしたのだ。

ちなみに余の男性陣はなにかと「もうすっぴんでいいじゃん。厚化粧よりもすっぴんやナチュラルメイクが好きなんだよ、男は」と言いたがるものだけど、ひげを剃り忘れた日の自分がどこか野暮ったく感じられるように、おそらく彼女らにとってすっぴんで外に出ることは、似合いもしない無精ひげでオフィシャルな場に出ることくらい、というかそれ以上に「ああ、恥ずかしい」な行為なのだと思う。

それにしてもひげ剃りは、男子一生の課題だ。きれいに永久脱毛できるものなら、いくらでもやりたいんだけどなあ。