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スペックとタイトル

無意識に発したことばにこそ、ほんとのことが含まれると思うんですよ

きのうお食事させていただいた素敵な先輩が、ふと漏らしたことばです。たしかにぼくの場合も、あたまのなかでこねくり回した考えより、自分で「ありゃま、こんなテキトーなこと言っちゃった」とわれながらにびっくりしたことばのほうが「でも、意外と核心突いてるかも」と反芻できることが多い気がします。

というわけで、きのうのぼくがなんの考えもなしに言っちゃった、けれども意外と的を射てるかもしれない仮説について、考えてみたいと思います。

それは「本のタイトルは、もっと詩に寄るべきじゃないのか」というもの。これ、とくにぼくがメインのフィールドとしているビジネス書まわりの話なのですが、とにかく「意味」と「指示」を詰め込みすぎたタイトルが多い気がして、ときどきうんざりしちゃうんですよね。読者に考える余地を残さない、というか。

たとえば『現役アナウンサーが教える! 初対面でも会話が途切れない50の方法』みたいな本があったとき、誰が、誰に、なにを伝える本なのか、とてもよくわかります。でも、これって『第5世代 intel Core i7 プロセッサー搭載! HDD500GB、メモリ8GB、ビジネスに便利な超軽量 Windows 8.1 64bitモデル』という文句と変わらない気がするんですよ。

一方、たとえば Apple あたりはどうしてるかというと。

iPad Air 2 という本があったとき、そのタイトルは『世界は一枚で変わる』なんですよね。これがコピーというものだろう、どんな商品にだってコピーはあるじゃないか、と笑われそうですが、たぶんそうじゃない。

どこかの編集者が『現役アナウンサーが教える! 初対面でも会話が途切れない50の方法』みたいなタイトルをつけるとき、そのひとはたぶん「会話とはなにか?」「コミュニケーションとはなにか?」「アナウンサーとはどんな職業なのか?」といった定義づけを、自分のあたまで済ませてない。だから容れものの話だけしかタイトルにできず、中身の話ができない。

容れもののタイトルもいいんですけど、そこで語られる内容について、詩に寄ったことばで考えてみるというプロセスは、大事なんじゃないのかなあ。まだ自分でも考えのまとまらないまま、こんなことを考えています、のひとつとして書いてみました。