見出し画像

どうして書くのと聞かれたならば。

12月の中旬に、1週間ほど海外に行く予定が入っている。

その地はどうやらネット環境がよろしくないというか、一抹の不安があるらしい。それで、もしもネットがつながらなかった場合、ここの更新どうしようかなあ、などとずいぶん先の心配をしている。

たとえば事前に5本ぶんとかの原稿を書いておいて、それを予約投稿するのだろうか。まあ、それがいちばん現実的なのだけど、とはいえ一気に5本も書くというのは時間もかかるだろうし、わかりやすくネタやアイデアが尽きそうな気がするし、だったらいっそ全5回の連作にしちゃったほうがいいのかなあと思う。そしてもし連作にするであれば、もう誰かにインタビューしちゃって、それを全5回の連載形式で載せたほうがいいじゃんと思ったり、いったいそんな時間どこにあるんだと思ったり。

みたいなことをつらつら考えながら思うのは、自分の性格だ。

いや、性格というよりも職業倫理、または職業上の指針だ。


なぜ書くのか。なにがうれしくてお前は書いているのか。

自分がその任を果たせているかを別としてぼくは、「おもしろくしたい」のだ。自分がおもしろいことを言いたいのではなく、自分のおもしろさをわかってほしいのでもなく、ただ目の前にある「それ」を、もっとおもしろいかたちにして世に出したい。もしも自分が関わることによっておもしろくなるのなら——逆に言うと自分が関わらないことによって、つまらないかたちで世に出てしまうのなら——とりあえず手間や苦労や見返りは抜きに、関わりたい。おもしろくできるチャンスを逃したくない。

そんなこんなで、むかしは安請け合いする仕事もたくさんあったし、いまもその気質は変わらないのだけど、おかげで仕事が増えていくばかりなのだけど、それでも「つまらないもの」を憎む自分は、これからも失いたくないなあと思っている。


ああ、12月中旬の note どうしようかな。ほんとにインタビュー、誰かさせてもらおうかな。そっちのほうがたぶん、おもしろいもんね。