文月葉月

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文月葉月

主に、https://estar.jp/users/157138924 にて小説を投稿してるアマチュアです。noteには、評論を中心に上げて置きます。 今、昔話から日本の被差別民史を探っています。難航中、遅筆です。

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善を勧めず。善を勧めれば則ち人間《ジンカン》を損なう。

 この記事のタイトルは『孟子』離婁章句上の一八、換え子教育を説く孟子の言葉の結び『父子之間不責善、責善則離、離則不祥莫大焉』を改変した言葉で、2018年に綴った3本の評論を見直して自己を振り返り、改めて付けました。  私は、文月葉月の名で雑駁なWeb小説を書いているアマチュアです。  ニヒリズムなのかと問われると、その通りだと思います。しかし、自由・放任主義かというと、むしろ哲学者の真似事を試みるくらいに公徳を大事に思っているつもりです。次世代、次々世代のinnocent

    • クリスマスを前に『あの子は良い子?悪い子?』後編

       他人の気を引くために行った行動が、周囲を巻き込むような大きな騒動となってしまった……そんな場合なら、ちゃんと叱らねばならないでしょう。  ところが一方、純粋な善意や親切心に突き動かされた行動もまた、大きなトラブルの原因となることも少なくありません。  場合によって、慎重に事情を聞き取り、動機と行動を分けて判断する必要があると思います。  もっとも、大人が驚くほど合理的に、理路整然と語れる子もいますが、大人達に尋ねられても上手く話せない子はほとんどでしょう。そして、中には委

      • クリスマスを前に『あの子は良い子?悪い子?』前編

        サンタのおじさん、今年もクリスマスに来るってよ。 『サンタクロースは優れた自然免疫を持っているから、COVID-19には罹りません』by Dr. ファウチ  11月22日のUSA Today紙にて、  アメリカ国立アレルギー&感染症研究所所長のアンソニー・ファウチ博士はこう述べ、子供たちへ『サンタクロースは万全。心配しないで大丈夫だ』と呼びかけました。  2020年、サンタクロースは予定通りクリスマス・イヴに訪れるでしょう。  さて、サンタクロースといえば【良い子】にプ

        • SFショートショート:タイムマシン

          『ハードランディング』  築三十年を超える薄汚れたアパートの一室、オチミズはその片隅で毛布を被って震えていた。夕日に照らされて真っ赤に染まってくるカーテンは、彼の心象風景をそのまま映しているようであった。 (とうとう、この時が来た。今日16時15分23秒、鬼内先生の大失敗が露わになる)  オチミズは震える手で何とかテレビをつけると、満開の十月桜を大写しにする情報番組を虚ろな目で、じーっと眺めた。 『……ニュース速報です』  画面が変わり、報道局アナウンサーの顔が映し出される。

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        善を勧めず。善を勧めれば則ち人間《ジンカン》を損なう。

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        • 【恋愛を勧めない】まとめ
          4本
        • 【道徳を勧めない】まとめ
          7本
        • 【賢母を勧めない】まとめ
          10本

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          昔話から紐解く、日本の差別 第三回、~猿蟹合戦の2:【牛の糞】【栗】【蜂】の人物像~

           【臼】に続いて、【牛の糞】【栗】【蜂】の人物像を読み解いていく。  偶々、読んでいた本の知識が生きた。自分の考察よりも、先行研究に依る部分が多い。  大学の教養科目で履修されてきた方、または大塚英二・森美夏の民俗学三部作漫画を読み親しんできた方なら、『ああ、あれか』と思う部分もあるだろう。  より知識を深めたい方は是非、参考文献を御覧いただきたい。 力無き呪的能力者へのバッシングが差別の始まり?:呪的能力者(芸能者)差別  さて、序論で触れた持衰の説明から、【牛の糞】の

          昔話から紐解く、日本の差別 第三回、~猿蟹合戦の2:【牛の糞】【栗】【蜂】の人物像~

          昔話から紐解く、日本の差別 第二回、~猿蟹合戦の1、【臼】:多様な日本の被差別職能民と昔話~

          二十八座の下がり職 『長吏(=穢多)』『座頭』『舞々』『猿楽』『陰陽師』『壁塗』『土鍋』『鋳物師』『辻盲』『非人』『猿引』『鉢叩』『弦指』『石切』『土器師』『放下』『笠縫』『渡守』『山守』『青屋坪立』『筆結』『墨師』『関守』『鉦打』『獅子舞』『箕作』『傀儡師』『傾城屋』  これらは、享保四年(1719)に江戸の長吏頭・弾左衛門が、江戸町奉行所へ提出した「頼朝公御免状」に記されていた職能民の名前だ。  当時、彼らのほとんどが差別・蔑視の対象であったようで、研究者はこれらの被差

          昔話から紐解く、日本の差別 第二回、~猿蟹合戦の1、【臼】:多様な日本の被差別職能民と昔話~

          昔話で紐解く、日本の差別 第一回~序論:Storyは【百姓に非ざる者たち】を語る~

          在りし日、他愛もない会話「あのさ、▢▢。昔話はどうして作られるのだと思う?」 「『御伽噺』の意味するままでしょ。暇つぶしの遊びだわ」 「えーと……、ホモ・ルーデンスってことかい?」 「勿論。あんた、前に『無駄な遊びこそが、人間を人間足らしめるんだ』って偉そうに講釈してたじゃない」 「そうだっけ?まあ、確かに至言だと思うけど……」 「納得いかない?じゃあ……、『夜闇の恐ろしさから気を紛わしたかった』なんて答えは、どうかしら?」 「ははぁ、それも鋭い解答だ。全く、▢▢は優等生だ

          昔話で紐解く、日本の差別 第一回~序論:Storyは【百姓に非ざる者たち】を語る~

          姫の救いは何だろうか?

           『かぐや姫の物語』の感想を眺めて見ると、最後に「姫の生きた意味は無駄じゃない」「未来への希望はあるのだ」と、姫の幸せに思いを馳せる形で終わっているものも多い。  『罪と罰』によって穢れた地へ落とされ、何も為さぬうちに月へ引き戻される姫。流されるままの彼女は、一体何を救いと感じるのだろう?  3つの方向で考えてみる。 (2020年、追記。  日曜美術館『アニメーション映画の開拓者・高畑勲』を見て考えたことで加筆修正した。特に片渕須直監督の指摘する『思い入れ』『思いやり』の観

          姫の救いは何だろうか?

          カイロスを逃してしまった姫:少女のまま生き、人間の世界に馴染めず苦しむ。

          『いかなる昔話の解釈もその昔話以上にでることはできない』  マリー=ルイズ・フォン・フランツ ●何故、かぐや姫が幼かったのか・成長の意味  昔話において、異常成長は異界から来た者の証であることが多いという。  類型の代表は桃太郎だ。彼は『桃』の密室から出現する。加えて『川』という境界の象徴があり、急成長を経て異界の力で偉業を成し遂げる。  対して、竹取物語。かぐや姫は『竹』という密室から現れ、急成長するが、それ以外に異界の力の片鱗を見せること無い。知っての通り、偉業も成すこ

          カイロスを逃してしまった姫:少女のまま生き、人間の世界に馴染めず苦しむ。

          前置:私の高畑勲論『居場所を作る物語』と『居場所がない者の物語』

          昔話によって、「心の比較解剖学」がもっともよく研究される  C.Gユング ●かぐや姫は幼過ぎ?  先ず、私の懐疑心の出発点を提示するべきだろう。  『かぐや姫の物語』は公開当初、一部の評論家からバッシングされた点がある(海外だったと思う)。  それは『ヒロインが幼すぎる。不適当ではないか』というものだった。私も実際に見て『確かにその通りだ。その指摘は見当違いではない』と思った。  この問題指摘を『いちゃもんだ』『時代考証的に正しい(私の反論:寓話性の高い物語故に、正しさな

          前置:私の高畑勲論『居場所を作る物語』と『居場所がない者の物語』

          【恋愛を勧めない】

           2018年5月18日にまとめた1本目の評論。  高畑勲監督のアニメーション映画『かぐや姫の物語』の評論です。高畑勲監督追悼地上波放送にあわせて書き上げました。  私の初めての長編『LoVe Lethal』は、『かぐや姫の物語』公開年である2013年に書き上げて初めて投稿した小説で、作中で竹取物語を扱っております。それから2018年に手直しを始め、少しずつWebに上げていた所、高畑勲監督の訃報を耳にしました。それから勝手に因縁めいたものを感じ、初めて映画評論に取り組みました

          【恋愛を勧めない】

          『ここにいる』と言えない者たち

          「そなた、邪悪な年老いた魔法使いよ、そなたは何たることをしたのだ!そなたがこういう馬鹿げたロバ祭りなんかを信ずるのであれば、この自由な時代に誰が今後そなたを信用するはずがあろうか?  そなたのしたことは、一個の愚行であった。そなた、賢いものよ、どうしてそなたがこういう愚行をなしえたのか!」  『ツァラストゥラ』第四部18節、ロバの祭りより ●父親のルネサンス[Renaissance]  次郎物語第三部、序盤こそ何だかスピリチュアルだと思ったが、第三部・第四部のテーマは父親、

          『ここにいる』と言えない者たち

          敢えて考える。勧めるべき3つの『親の礼』:選択肢の3

           これまで『親の礼』と銘打ち、3つの『不断の努力』を提示し、選択肢『情に沿う教育姿勢のリトレイス』と『道理に沿う教育姿勢のレスポンド』の2つを唱えてきたが、実は態と選択〝肢〟という語弊のある言葉を使ったてきた。  どれかを選んで終わりという話ではないのだ。  既成の社会的役割として「仮面」についてのみ教育するのでは、ラルフ・ダーレンドルフのいう「ホモ・ソシオロジクス」(役割〝を素直に演じる〟人間)だけが育つということになるでしょう。  『教育―不可能なれども』 西部邁

          敢えて考える。勧めるべき3つの『親の礼』:選択肢の3

          子供が[アイデンティティの確立]するために

          ●[プライベートの確保]:『胸ん中の剣』を持たせる前に『自分だけの部屋』を  引きこもりの情報が乏しかった一昔前のこと、『甘やかして部屋なんか与えるから、引きこもりが生まれるんだ』という言説をちらほら聞いた(この単純思考が、あの『引き出し屋』の跳梁を招いたのだろうか?)。  私は寧ろ逆だ。追い詰められた時(最優先で考えるべきはそこ)、機能不全な部屋であったからこそに役に立たず、それが物理的な干渉断交に向かうのではないか?  やや裕福な日本の親は右へ倣えで子供に物質的に部屋

          子供が[アイデンティティの確立]するために

          敢えて考える。勧めるべき3つの『親の礼』:選択肢の2

           情が通じればこそ湧く意欲があるとは思う。  開き直って贔屓を肯定する論調は頷けなくもない。確かに、それが良い効果をもたらすことはあるだろう(ピグマリオン効果の話はよく聞く。問題はその妥当性に裏付けが無いこと、恣意的選択である)。  しかし、情は万能ではない。  あれは中学国語の教科書に掲載されていた霊長類学者の河合雅雄先生の書かれたエッセイ(思考実験?)だったと思う。そのさわりを以下に記す。 ・チンパンジー型とオランウータン型  バナナを入れた秘密箱を用意し、それを被験対

          敢えて考える。勧めるべき3つの『親の礼』:選択肢の2

          敢えて考える。勧めるべき3つの『親の礼』:選択肢の1

          ●リトレイス[Retrace]  繰り返す、跡をたどる。語源は『back + trace』、自分の辿った人生を丁寧に子へ伝えること。また、変遷してゆく世の中(次世代環境:子の住む世界で、自分は一切関わらない所)への研鑽に労を惜しまないこと。  先の3つの努力に照らし合わせて考えると、当然リサーチ(自分の経験、努力の記憶はその大きな助けとなる)が、それ以上に日々のリニューアルが要求される。  前節で議論したリニューアルとは方向性が異なる。予め目標水準を設定して働きかける、言わば

          敢えて考える。勧めるべき3つの『親の礼』:選択肢の1