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あなたにとって「寄り添う」って、どんなことですか?

こんにちは。
フィットネスインストラクターで
「未来書き換え自分年表作成講座」
認定講師の山﨑史子です。


突然ですが、みなさんは、
人に「寄り添う」という言葉を
よく耳にしませんか?


私は普段、
フィットネスの指導の仕事を
しているんですけど、


その指導のための
セミナーなどに行くと


「クライアントに寄り添いながら
 指導しています」
と仰るトレーナーさんが
多かったりするんですね。


当然私も、出来る限り、
(クライアントさんの気持ちになって)
と、頭に置いて接していますから、


一応に “寄り添っているつもり”
ではあったんですけど


私は本当に寄り添っている、
 って言えるのかな?)
と、自信がなかったんですね。


みなさんは、
お仕事で関わる方やご家族に対して
寄り添っていますか?


そこで今回は、
「人に寄り添うってどういうこと?」
と疑問を感じていた私が、


母との関係性を紐解いたことで
自分に自信を持つことが出来た話を
書いていきたいと思います。


周りの人と
「寄り添うことで
 関係性を変えていきたい」
と思われる方がいらしたら
是非読んでみて下さい。


何かヒントになりましたら
嬉しいです。


始めに、
私の生い立ちから書いていきますね。


私は両親と三つ上の兄との
4人家族の末っ子として育ちまして、


家族の中で母は、
父のことを大黒柱として“常に立てる”
見本にしたいような良妻賢母でした。


そして、私の幼少期、
兄は、すぐに風邪を引いてしまうような
少しひ弱で、手のかかる子だったのに対して


私は、風邪一つ引かない
体が丈夫な手のかからない子、
だったんですね。


ですから、
母は、父や兄に寄り添う一方で、
私に対しては。。。


「自分で出来る?大丈夫?」
と“放っておいても大丈夫な子”
と思っていて、どんどん私は


あまり構ってもらえなくなって
いったんですね。


ですから時折、
私が洋裁や編み物の家庭科の宿題に
1人で苦戦していると、


洋裁が得意だった母は
ここぞとばかりに
「そこはこうやるのよ~」
と手伝ってくれます。


そうして私のために張り切って
くれることは、
とても嬉しかったんですけど


なんだかんだと
教えると言いながら、結局母が
自分でやリ過ぎてしまって~


いつも私は、
やり方が分からずに終わるんですね。。。


それはそれで(困ったな。。。)
という思いがあったんですが、
母がとても嬉しそうに
私のためにやってくれていて、


それを嬉しく感じていた私は、
なおさら
「自分でするからよ良いよ」
とは、申し訳ない気持ちで
言えませんでした。


結局、何か、
(寄り添い方が違うかな。。。)
と私の中でも違和感があって、


でも、どういうことが
「寄り添う」なのか?
私にはよく分かりませんでした。


しかも、そんな
やってくれ過ぎてしまう母なのに
私が初めて長女を出産した時は
ちょっと違っていたんですね。


里帰りをした私に、始めはずっと、
とにかく、「体を大事に」
と母は言ってくれて、


私も
(やっぱり実家は有り難い~
母は私の味方~)
と嬉しくて、


(本当に甘えていいんだ。。。)
と嬉しさを噛みしめていたんですが、


ところが、いざ、
陣痛促進剤でいよいよ出産!
と私が朝から入院していた日のこと。


午後になって
陣痛が定期的にきていた私のところに
「陣中見舞いに来たよ~」
と、父と母がやってきたんですね。


ところが、
痛がっていた私を見ると母は、


「あ~痛そうね~
でもこればっかりは
変わってあげられないからね~
ま、頑張ってね~(笑)」


と、暑い日だったので
内輪をパタパタさせながら、
楽しそうに笑って、
あっさりすぐに、帰ってしまったんです。


「え?それだけ?
何かもう一言くらいないの?(ーー;)」


と、一番、寄り添うような
母の励ましの言葉が欲しかった時に
何もないまま5分もせずに帰られて、


私は肩すかし、というか
拍子抜けしてしまったんですね。


ますます
「親が子に寄り添う」
って結局、何なんだろう。。。?
そこでも私は分からずに、


(相手のためになること?)
(相手の気持ちを考えること?)


(。。。いや。。。
 それだけではない気がする。。。)


と、ずっと私は
グルグル答えが見つからないまま、
「自分なりに相手のことを思う」
しかありませんでした。


そんな私が、ある時に出会ったのが、
人生の棚卸しをする
「未来書き換え自分年表作成講座」
だったんですね。


その講座では、
1ヶ月で自分の人生を書き出して
棚卸しをします。


その中で、それまでに気づかなかった
親の思いや自分の思いにも触れて
自分の中にある本来の価値観に
書き換える講座なんですが、


その中で私は、
母の思いに気づかされることに
なったんです。


というのも、
確かに、母の寄り添い方は
何か違っていて、


父や兄、私に対して、
先回りしてあれこれ
やってくれ過ぎるところがありました。


ただ、母の生い立ちを見返した時、
気づいたんですね。


母の実家は畳屋、という自営業で
職人さんも出入りする忙しい家
だったようなので


しかも、
年の離れた兄と姉がいる
末っ子として育った母は
高校生の頃、母親も亡くしています。


家族と遊ぶようなゆとりも
寄り添ってもらう時間も
あまりなかったんじゃないか、
と思うんですね。


講座の中で、ファシリテーター(講師)が
「お母さん自身が、
 どう寄り添えば良いのか?
 知らなかったんじゃないかな」


そんなヒントもくれて、
やっとそこで、母の立場に立って
気づいたんですね。


実は、母が私を出産した時、
母親(祖母)はもう、
他界して居ませんでしたし、


それに加えて、私の父ときたら、
“私が産まれる”という大事な時に、
兄と一緒に出かけてしまっていて


結局母は、
誰にも付き添ってもらう事も無く
1人で私の出産をしたんですね。


ですから、私が長女を出産する時
確かに陣中見舞いは、
5分で笑顔を残して
帰っていった母なんですが


帰り際に、
「パパさん(主人)が居るから、
 大丈夫ね^^」
とも言っていたんですね。


それは、母から見たら
自分が付き添わなくても、


(パパ(主人)という味方が居るから
 あなたはもう大丈夫よ)


おそらく、そんな思いで、
帰って行ったんじゃないかな、
という気がしたんです。


母はもう8年前に他界して
その声を聞くことは出来ないんですが、


それまでのさまざまな母の気持ちが
私の中に巡って、
熱い思いが、こみ上げてきました。。。


それこそ私は幼少期、
母が、父や兄ばかりに
手を尽くしているように感じて


「甘えてはいけない」
と思い込んでいました。


そんな私だったからこそ、
時おり、母に甘えるチャンスがあると、
母は張り切って、
“寄り添おうとして”
ついついやり過ぎていたんですね。


それを思うと、そんな母が
とても愛おしく感じられて
感謝の思いが溢れきました。


ですから母は、
「親が子に寄り添う」という経験が
自分には無くて
不器用だったかもしれないんですが


今思うのは、

「寄り添う」というのは、
相手に「大丈夫、出来るよ」


と、『味方になってあげること』
なのかもしれない、と思うんですね。


「味方」という存在で居てあげることで
相手は安心して、
前に進めるのではないでしょうか。


「寄り添う」
って、言葉で言うのは簡単ですし
人によって解釈は違うかもしれませんが


今の私は、そんな風に思いますし
あらためて、自分の家族や
クライアントさんにとっての
「味方」として、


これからは私も
寄り添っていきたいと思っています。


親子の関係を紐解いて
あらためて母をリスペクト出来たことで
私は自分に「自信が持てた」
ようにも感じるんです。


安心して、自信を持って人生を
歩んでいきたいですよね。


みなさんは「寄り添う」
について、どう思われましたか?


もしかしたら、私のように
ご自身の人生を棚卸ししてみると、


ご自身の価値観が
変わって、自信を持って
人に接していけるかもしれません。


ちなみに、
私が親子の関係性を紐解く時に
受けたのが
「未来書き換え自分年表作成講座」
という1ヶ月の講座です。


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見える世界が変わるかもしれません。


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