見出し画像

子どもの成長、自分の成長。

中3の次女が作る、フルーツ飴のクオリティが、どんどん上がります。
ハッサクやみかんなど、家にあるものをなんでも飴でコーティングしてしまうのものだから、高校受験が終わった日にイチゴを買っておいたら、案の定イチゴ飴に変わりました。

パリパリ&ジューシーなイチゴ飴。
お祭りで売ったら1個400円だね、なんて笑いながら頂く。

娘たちが幼かったころ、我が家のお姫様ごっこには西洋のお姫様と日本のお姫様が混在していました。そのうち、きちんと畳めるようになっていました。多少、和服が傷んだとしても、何よりの財産です。


小学校3年生くらいかな。懐かしい。

そのうち、長じゅばんを繕ってくれるようになっていました。

お裁縫な苦手な母に代わって繕ってくれます

既成の型紙を好まない女の子が作ったドレスは、時に、着れたは良いが脱げないものでした。それがたった数年後、彼女は自分のプレゼンで自分がデザインした洋服を着て登壇していました。いちいち、泣けます。

こだわりの袖とスカートのフリル。かっこよかった。

トルソーが欲しいけれど、お誕生日プレゼントでもらったお金を使い果たしてしまった。そんなことを言われたら、つい”投資だよ”なんて言いながら買ってしまう、私はそんな甘い母親です。

お裁縫用のトルソー(マネキン)は、狭い我の特等席に家に鎮座している

今日は、NHKあさいちで「教育やりすぎ」特集でしたね。

自分に余裕がないときは放任しすぎ、少し余裕ができた今は、ちょっと関わり過ぎ…かもしれないなと、番組を見ていて少し振り返ったりしました。どんな時も、自分を客観的に見つめなおすことは大事なことですね。

今の私にとっては、大人になりゆく子どもたちに、時おり早足で必死についていくことが、少し大変だけれど幸せな日々です。

一方で、未だこれほど未成熟なのかと日本社会に落胆した昨年でもありました。 娘たちを広い世界に出すことに不安が募り、苦しくて、どうしてよいものかわからなくなっていました。 成長のためのハードルは歓迎だけれど、自分が感じてきたような理不尽や不要な苦しみを感じさせたくないと必死でした。

自分で言葉にするのはまだ難しいのだけれど、こういう類の話で。


でも知人に言われてハッとしたんです。

娘さんたちには、生き抜く力がありますよね

守らなければと先回りし過ぎていた自分に気がつきました。
自分の無力さを受け入れ、彼女たちの力を信じる。 私の子離れには、もう少し時間が必要なようですが、そういう強さを身に着けたいと思います。

でも朝いちを見ていて、やっぱり私は間違っていないと思えた一言。

親自信が幸せでいることが、一番の教育。

娘たちの未来がより豊かになることを願いつつ、
仕事も、人生も、私は目いっぱい楽しむつもり。
それでよい、ということで!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?