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ワークライフマネジメント

こんばんは。北海道の帯広市が本社の会社を経営しつつ、200㎞以上離れた札幌市で中高生の娘2人と3人暮らしをしている井田芙美子(43)です。子育てをしながら自分のキャリアを生かした仕事として、農業ガイドという仕組みを生み出しました。今は、道内放送番組のコメンテーターをしたり、女性起業家のメンターをしたり、大学の非常勤講師をしたりと、お声掛け頂けることに都度真摯に向き合っています。近いうちに、改めて自己紹介記事をアップしたいと思います。

2024年になって毎週noteというのを始めました。毎日書いている方と比べると随分ゆるい更新ですが、無理なく続けることをモットーにのんびりやっていければと思っています。

さて、先週も色んな事がありました。中でも大きな出来事は、私が会社以外にやっているライフワークに、名前がついたことです。

私が「いただきますカンパニー」という会社を始めたのは2012年のことでした。日本で初めての農業ガイドと注目していただくことが多いのですが、私が起業した一番の理由は、子育てと仕事を両立させるという差し迫った課題を解決するためでした。当時勤めていた職場では、育児休業という言葉も理解されておらず、今でいえばマタハラに該当することも当たり前だった時代でした。当時の夫(2012年に離婚)がいわゆる家父長制の家庭で育った人だったことも相まって、リベラルな家庭で男女平等だと思って育った私は、結婚後に初めて女性としての課題に向き合うことになり、人生が一転した、という経緯です。それから一回りの時が過ぎ、お母さんの頃はね...と昔話のように娘たちに話せる時代が来たことに、少しだけ希望を持ってるこの頃です。

この辺のことは改めて整理しますね。起業までのストーリーはこちらご参照ください。
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https://itadakimasu-company.com/wp-content/uploads/2019/11/私の起業ストーリー.pdf


はじめた会社が10年を超えて生活が落ち着いてきたころから、改めて私のライフワークについて考えるようになりました。

私は、つい女性を応援してしまうし、子どもたちの豊かな未来に貢献したいと思ってしまいます。その結果、気が付けば女性起業支援や若者の留学助成金の審査員をさせていただくことが増えていました。ここ数年の私のSNSは、農業のことよりも女性や若者に関する投稿の方が多くなっています。私は何がしたいんだろう…とよく考えるようになっていました。

そんな時、友人が素敵な言葉をくれました。
芙美ちゃんのやってきたことは「ワークライフマネジメント」だね、と。

電撃が走りました。
ワークライフバランスって、再現ある時間をどちらに割り振るか、みたいな気がして、どうもしっくりこなかったんです。
外注しようが知人友人に手伝ってもらおうが、子どもたち自身に任せようが、自分で担おうが…とにかく今すべきことをこなして日々を乗り切るためにどうするか、それだけを考えて生きていました。
10年前から見守りカメラで両親に見守ってもらうオンライン育児は導入していたし、チームの一員として活躍してもらうために子どもたち自身が家事ができるよう育ててきました。当時は思うように両立できる仕事が無かったから、自分で会社を立ち上げました。自分は仕事をしながら、どうやって日々の暮らしを回すかというのは、マネジメント以外の何物でもありません。バランスなんて、取りようがないですから。

何とか人並みに生きていけるようになってからも、私のワークライフマネジメントの旅は終わりませんでした。今度はより豊かに暮らすためにと、お片付けアドバイザーの友人にお願いして家一軒のお片付けを進めたり、ファイナンシャルプランナーさんにお願いして家計の見直しをしたり。昨年は親の将来のために一軒家の実家を売却してマンションへの住み替えを進めました。直接的に介護を担うかはどうかは別として、両親が幸せな老後を過ごすために私なりの貢献をしたいと思っているからです。そうやって家族が添えrぞれに自立して暮らせる形をマネジメントすることで、自分も家族も幸せに生きられる形を模索してきました。

少し前であれば、子育てや介護は、誰かが追わなければならない責任、と考えていました。でも今は、大切な人に幸せに生きてほしいと思う、私自身の欲求が勝っています。そんな風に思えるほど、自分に余裕ができたんだなと嬉しくなります。大切な人が増えるということは、幸せの総量が増えることなのだと実感を持っています。

大きな影響力を持つ方に献身的なサポートをしてくれるパートナーがいる、ということも、最近は当然のことと思えるようになりました。人間ができることには限りがあり、卓越した才能を持っている方は、一方で生活技術やコミュニケーション能力が欠けていたりするものだからです。支えてくれる人がいて初めて才能が発揮できるというのも、ひとつのチームの形です。問題は、それが性差によって初めから決めつけられていたということであって、そうでなくお互いが納得していれば何の問題もないことです。

ただ、ジェンダーギャップ指数が示す通り、日本は今でもなお男女格差が色濃く残る地域です。その反発もあって、私は育児や介護から解放されることを目標に据えるようになっていました。でもそれは私の目指す姿でないと明確に気づいたのは昨年ことです。

母が実母を看取ったのを見て、私は母を幸せに看取りたいと心から思いました。初めての感覚でした。

義務感で子育てをしてきたけれど、少し余裕ができた今は、子育てが楽しくて仕方ありません。子どものいない人生なんて考えられないほど。彼女たちの成長が嬉しくて幸せでならないのです。

私たちは、仕事をするために生きているのではなく、生きるために仕事をしています。私はすっかり贅沢になってしまったので、自分が豊かに生きるだけでは飽き足らず、大切な人が豊かに生きてくれて初めて、豊かさを感じるようになりました。私の場合は、娘たちがある程度自立して生きていけそうだとわかると、今度は親の幸せを願うようになりました。さらに落ち着いてきたので、今度は姪っ子たちの幸せな未来を願わずにいられません。贅沢極まりないことです。

そもそも、ワークというのはライフの一部です。ワークとライフを天秤にかけようなんていうことが滑稽です。ライフの中にワークがあり、ワークによってライフが豊かになる。その循環を生み出していく手段のひとつが、ワークライフマネジメントである、そんな風に思っています。

ライフを仕事だと思ってマネジメントするのは、ワーカホリックな私にはピッタリで燃え(萌え?)ちゃうわけです。今まで、ワークライフマネジメントを担ってきたのは主に女性でしたが、もうそんな時代は過ぎ去り、若い男性たちは既に実践の渦中にいます。理解ある先輩のひとりとして、ワークとライフをマネジメントしようとしている人たちの応援ができれば、そんな思いをもって、これからも細々と活動していきたいと思っています。

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