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2024年・毎週noteはじめてみます。

まずは北陸の皆さまの安全を心より願っております。我が家は旧三波村(現能登町)から北海道に渡った祖先がルーツなので他人事ではありません。どうか、これ以上被害が拡大しませんように。

さて、そんな中で恐縮ですが、2024年より始めると決めたnoteの定期更新を、元旦からスタートしたいと思います。実家の整理と引っ越しという、2年がかりの大事業が一区切りついたので、あとは自分の努力次第。何とか週に1本、かつて北海道新聞に連載していた「朝の食卓」というコラムのような形で、日々思ったテーマでエッセーを綴ってみようと思います。どうぞお付き合いください。

自己紹介はこちらご参照ください↓↓

今日は初回なので、なぜ今書き始めようと思ったかだけ、まとめます。

表紙の写真は、大学生の頃に何度も(20回くらいかな)登った雌阿寒岳。真っ暗闇の中を登ってご来光を望んだり、雨の中登頂したり、結構ハードなことをしていました。少年自然の家のボランティアスタッフとして、子どもたちの引率役でした。

先日、コメンテーターとして出演しているHBC今日ドキッ!で「元旦の思い出は?」と聞かれて答えたのが、「根室駅から納沙布岬まで25km歩いて初日の出と共に頂いた北の勝が最高だったことですね」という話でした。

高校時代は朝練から夜ボールが見えなくなるまで練習をしていました。団体戦で強豪校を破って全国大会に出場しました。決してセンスのある選手ではなかったですが、気合と根性で乗り切っていたので、鉄人と呼ばれていました。ソフトテニス部の忘年会が恒例化してきて、忘れていた記憶が戻り始めています。

実は、私としてはそんな自分を封印した20年間でもありました。大人になってみると、なんでもできてしまう、やろうとし過ぎる女が嫌われるという事を知りました(当時は)。子どもが生まれてからは、なんでも自分で頑張ろうとすることで限界を超えてしまい、心と身体が悲鳴を上げていました。誰かに頼ることを覚えたのはこの時期でした。会社を始めてからも、自分のペースで仕事をするのではなく、周りのペースに合わせることの方が大切だと思うようになっていました。

そんなことを続けていたら、頑張れる自分がすっかり埃をかぶってしまい、気が付けば年を重ねて体力も落ち、踏ん張りが効かない自分になってしまっているような気がしたんです。

書くことも、本を書こうと話を進めたにも関わらず停滞していました。体力作りが必要だとジムに通い始めたけれど、途中で起こったハプニングをきっかけに脱落。娘の留学を機に始めた英語も、アメリカ訪問が終わったら気力が続かなくなってしまいました。色んな事が中途半端になっている自分が、少し嫌いになりかけていました。

だからなのか、60代の先輩たちが、新しく何かに挑戦している姿を見ると、心からカッコイイ!と思うのでした。
そんな私をよそに、娘たちはどんどん成長し、長女は大学受験、次女は高校受験に向けて努力を続けています。彼女たちをサポートしているうちに、色んなご縁も重なって、学生時代の私は頑張れる人だったという事を思い出したのです。サポートするだけでなく、一緒に頑張るお母さんでいたいと思いました。

家族のことも、仕事のことも、自分の体調のことも...思い通りにいかないことが突然発生するお年頃なので、頑張り過ぎは禁物ですが、ちょっとだけ無理をしてみる1年にしようと決めました。

今日は、しばらくお休みしていた朝ヨガを再開、夜には20分だけだけれど汗を流してきました。地震で気持ちが落ち着かなくなり諦めかけたけれど、何とか1投稿目を書きました。まずは内容よりも決めたことの実行に主眼を置きますが、少しづつ内容を深めていけるよう努力します。


では、ここでタイムアップ。
皆さまにとって、2024年が健康で平和な1年となりますように。

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