2022の振り返り

2022/12/29
今日は仕事納めでした。
部署が変わって、なんだかいろいろあったけど、大掃除をして、ちゃんと納めた。

年末だし、色々振り返ろうと思う。
移動中に書いているので、目的地に着いたら投稿が別日になるよ

今年の始まりは、前年の失恋を引きずったままだった。
心境の変化と住環境の変化とで自分を見失ったままだった。

それでもいろんな人と遊んだり、日常を過ごすなかで、自分の現在地を知ることができた。

年が開けてすぐ、友人と遊んだ。冬の新宿はなんだか心がチクチクした。

春になるころ、部署異動を命じられたが、やりたいことができないと思い、断った。
まあ、上司がパワハラ気味だったが、希望の部署に入ったことに後悔はない。

年度末に福島の実家の牛小屋を解体した。
友人たちに手伝ってもらい、なんとかやった。
その帰りに福島から盛岡に行って、あそび、帰りのバスに乗り遅れた。
結果的になんとか帰れたが、そこでも新たな出会いがあって、おもしろいことになった。

春には大学の後輩というか、友達というか、なんというかもっと適切な言葉もあるかもしれないが、まとめると取り組み相手と同居することになった。
新しい日常は寂しさも紛れるし、生活してると色々あるが、その都度取組をして、良いようにしている。

五月には大学の後輩のテニスの大会を応援しに行った。3年ぶり?の大会だった。躍動している後輩の姿は、かつての自分の姿を思い起こせて、恥ずかしいけれど自信になった。

3年ぶりの東京の祭(御輿担ぎ)はふるさとに帰った気分だった。東京に地域社会の共同体などないと決めつけていた、かつてのぼくが価値観をぶっ壊された祭。いつか祭のことも記事にしたい。

2週間北海道出張もあった。酒飲んだのと、地方に住む人の葛藤を共感できて、首都圏の人との違いを感じれて居心地がよかった。

バイクは桜を見に行ったり、海に行ったり、夜の首都高を走ったり、よかった。特に首都高は魔術的で、幻想的で、最高にきれいだった。また走りたい。

夏フェスも初参戦した。
暑い夏だった。コロナで声は出せないけど、とても盛り上がっていた。
ケツメイシが夏フェスにいたときはとても暑い夏だったんだろうと、当時参加したかったなとも思う。

ケツメイシのライブも二回行った。
10月と11月。
横浜と仙台。
はじめての横アリ。憧れの会場も大人になったからか普通のライブ会場だった。
それでも3年ぶり。あ、こんなかんじだったなあとか、こういうのがすきでケツメイシがよかったんだとか、そういうのを思い出せて、興奮した。

仙台はライブの千秋楽で、最後に最高の曲を用意してくれた。やっぱり一生着いていくっす。

11月に5年乗ったバイクを売った。いつか壊れるバイクなので、仕方ないが、長く乗ってたバイクなので寂しさはあった。
お金を作って、バイクを買うのが近い将来の楽しみでもある。

2年ぶりに登山もした。登ってる最中やっぱり帰りたいなーって思うけど、山頂に着くと、それまでの苦労が報われて、新たな景色を見れて、興奮する。

新宿で、寮の10コ上の先輩が経営しているバーにも何度か足を運んだ。
毎回記憶をなくし、迷惑をかけている。
謝りに行くのが新年一発目の義務だ。

大学の友人の結婚式も素敵なものだった。
大学時代と同じように、部活のメンバーでやいのやいの言い合って、新郎新婦も参加者もバカほど楽しんだ。
いい式だった。来年の3月にも他の友人が式をあげるから楽しみだ。

年末に大学時代行きつけだった店が閉店した。何かあれば行っていた、ぼくの盛岡での居場所なのでなくなるのは、最高に寂しいけど、力になれなくて申し訳ない気持ちもある。
店主とはこれからも会うだろうから、ご恩を返さねば。

公務員試験に落ち、嫌いになりかけていた福島も、だんだん好きになってきた。
この気持ちも整理して綴りたい。

一年を通して友人たちの恋バナを聞いて、ひさしぶりにきゅんきゅんしてる。
羨ましいなともおもう。まあ、ぼちぼちかなと。

仕事の方はというと、パワハラ上司がやめて、仕事が増えた。
自分の処理能力の低さに辟易し、悲しい気持ちになることもあるが、なんとか生きている。自由度が増えた仕事は大変なこともあるが楽しい。
運が良ければ来春にオーストリアに行けるので、英語を勉強中である。

今年は貯金をしようと決意して、何とかそれなりの額がたまった。貯金を課したことで不安に苛まれることもあった。
貯金額は全然まだまだだけど、来年もこれを続ける。

1月の1ヶ月間だけチョコレートをなるべく食べないという目標をかかげ、それを達成した。それが自信になり、何とか前にすすめた。まあ、メンタリストダイゴが言っていたことを実践したまでだが。

今年学んだことは、人生はやっぱり続いていく、ということ。
どんなにつらくても、明日は来るし、ぼくの人生を豊かにするように自分自身が行動するということ。
そして、一年ではあまり遠くにいけない、ということ。あらゆる問題を同時に一瞬で解決しようと考えてしまうことがあるけれど、ヒーローは簡単にはやってこない。
だけど、少しずつ積み重ねていけば、ヒーローはやってくる。そのときに大活躍するように、日々を、日常を、不安だったり、葛藤や喜びだったりの中で生きていく。そんなことしかできないが、自分がそれができる人だと信じてる。

Twitterである漫画の一コマの画像が回ってきた。その漫画の内容は全然知らないが、登場人物の台詞が印象的だった。
「人生をかけた夢や目標が破れることなんて、当たり前のことじゃないか。」
たしかこんな感じの言葉だった。
自分の人生の話だけだと、ひとつの物語で、夢が破れることは一大事だ。ただ、多くの人生がある、この社会では、夢が破れることなんて、当たり前だ。
夢が破れたあとどうするかが、人生を進むひとつのヒントだ。奮い立たなくてもいい、のんびり過ごしたっていい、新たな夢を持ってもいい、それが当たり前の話なんだ。

といったことで、今年最後の記事を書いた。

例によって、今は12/31、大晦日だ。
故郷に帰っている電車の中で続きを書いている。

言語化する練習もかねて、ノートをたまに書いていたが、モヤモヤやイライラなど、ストレスの捌け口として、記事を作っていたから、今年の後半にはそれがなくなってきて、記事が減ってきてしまった。
それはいいことでもあるけど、雑多なことを言語化するトレーニングにはならないので、日常の機微に目を向けて生活したい。

やりたかったこと、やれなかったこと、夢や目標、できたこと、色々あるけど、直近の目標は以下のものである。
・英語を頑張る(週に3回はオンライン英会話)
・貯金を引き続き頑張る(車やバイクは買わない予定)
・故郷に貢献する。(立子山と自啓寮かな)

仕事で成果を出すのはちょっと当たり前すぎるので、まあ、一旦おいておこう。

社会の解像度があがって、人生の解像度もあがってきて、妥当な解も増えてきた。
とはいえ面白いことに首を突っ込みたい性分なので、そこら辺は折り合いをつけながらですね。

(パワハラ上司を除けば)近年まれにみる、いい一年だったような気もする。
楽しかった。
ありがとう。
じゃあ良いお年を!
来年もよろしく!

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