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30歳手前で東京生活をやめ地方Uターンした時しばらく死ぬほど後悔した

東京での暮らしが好きだった私にとって、30才手前で地方へUターンしたばかりの1年はとても過酷だった。


そもそも生活や時間の流れ方が全く違う。まるで別の国に住んでいるかのような感覚さえあったかもしれない。

もどかしい気持ちを随分と抱えて過ごしていた。

私にとって、東京の好きなところは、あてもなく何時間でも街歩きができるところだ。
街によって全然違う東京の顔があり、どの街も個々に魅力がある。訪れる街によって、そこいる人の層や社会的背景が全然違うところも面白い。
たった1本道路を挟むだけで全く違った景色が見えることもある。

一言で新宿と言っても、歌舞伎町と都庁のある西新宿とでは全く毛色の違う街であったりする。

映画音楽アートなどのカルチャーをとても身近に触れられる環境であることも都市に暮らす大きなメリットだと思う。

当然のことだが刺激的で魅力的な人たちに、たくさん出会うチャンスがあった。

私は高校を卒業してごく自然に東京の大学を選んで進学した。


もともと「地元」的な文化が好きではなかったこと、映画や音楽、ファッションなどカルチャーへの興味が強かったことも理由の1つではあるが、「当時自分のいた世界では東京進学は当たり前だったから」だ。

進学校で、家庭環境や考え方なども同じようなレベルの人しか周りにいなかったからか、高校時代の私の周辺には、一定層「卒業したら東京」が当たり前だったのだ。

そうでない人の一部は海外へ留学したり、関西方面へ進学する人もいたが。地元に残留するというのは、自分の周りでは少数派だった。

バイトと映画とクラブ遊びにどっぷり浸かっていた楽しかった記憶しかない4年間の大学生活の後、途中紆余曲折あったものの、29歳まで東京でひとり暮らしをしながら会社員生活を送った。

ウェブ・広告代理店に数社所属し、プライベートではヨガに通ったり友人と定期的に食事をしたり、休日は映画館や美術館に足繁く通ったりと、忙しくもそれなりに充実した暮らしをした。

そして30才目前ぐらいで地方都市である地元に戻った。

東京での生活や友人、せっかく積み上げてきたキャリアを手放したくはなかったが、社会人になってから度々悩まされていた、ストレスや働きすぎによる体調不良が多くなったことが大きなきっかけとなり地元に帰ることを選んだ。

結果的に地元に戻ったことが、それまでのわたしの人生の中で最初の挫折だったのだ。

私が当時一番後悔したことは、「東京で積み上げてきたキャリアを無駄にしてしまった」ことだった。


「どうしてキャリアを手放してしまったのだろう」ということを常に思考していたし、かつての同僚や友人のフェイスブックでの投稿を見るたびに、自分の地方での地味目な生活との差に落胆したりもした。

それまでは、「都会でひとりで自分の好きな仕事をして自活している自分」というプライドだけで、頑張ってきたからかもしれない。

先にも書いたが、「東京進学が当たり前」の環境で18歳まで育ってきた私の周りの友人たちは、住む場所はさておき、仕事や人生の目標を追い掛け続け、着実に達成し、輝いているように感じた。

今となれば、あそこまで悩んむことはなかったと感じるし、自分の選択については、間違っていなかったと思っている。


だが、つい数年前の自分は、プライドが傷つけられたような気持ちになり、なかなか置かれた状況を受け入れられなかった。

あまり語られてこないが、東京などの都市から地方へUターンした人であれば、こうした喪失感を経験している人は結構いるのではないかなとおもう

それ以外でも、Uターンしてからしばらくは、いわゆる、「浦島太郎」のような状態が長く続いた。


地元は、政令指定都市であるとはいえ、これまで住んでいた東京で当たり前だと感じていたさまざまな事柄の感覚が全く通用しなかった。私が18歳のころの価値観とあまり変わっていなかった。


まずこれまで一度も感じたことがなかったこととして、30歳手前で未婚であること=哀れみ的な目で見られることがありこれには結構ショックを受けた。キャリアで悩むこと自体が男性だけのものだというようなニュアンスの発言も多々あった。

仕事の話で議論するということがなかなかできなかった。これは、女性だけでなく男性ともできなかった。

仕事=お金を稼ぐ手段 と考えている人も思っている以上に多く、なかなか仕事へのビジョンを語れるような人に出会えなかった。(その後、出会うことができた結果、今の夫がいるのだが)

それから数年経った現在は地方での暮らしにもそこそこに満足している。

コロナ以前までは、月に1-2度は都内と行き来する生活スタイルだったこともあり、両方の良い要素を享受出来ていたことも大きかった。

かつ健康的な暮らしになったことは間違いない。

なによりも同じく偶然にも東京Uターン組の夫と結婚したことは、とても心強く、地方暮らしが急に楽しくなっていった。この言語化しづらい感覚を共感できる人がいるかいなか、はかなり大きい。

唯一、物足りないと感じるのは、そこで毎日暮らしているからこそキャッチできる文化的な要素の情報や染みついてくる自分自身のセンスのようなものだ。
社会や時代の変化なども、都会に住んでいると自然に肌で感じることが多いと思う。街を歩いている人、街並み、ファッション、広告、お店に並ぶ商品などから、無意識的に時代の流れを感じ取ることの面白さ。そしてごく自然に自分もそこに馴染んで行く感覚。

これらはやはり東京のような場所に住んでこその特権であり、たとえ時代がどんなにオンライン化となってもやはりなかなかそれは私の住んでいる地方で同じように感じ取ることは、不可能だと強くおもう。

これらはどちらかといえば職業的な要素も強い。マーケティングや広告という仕事をしてきた私は、経済の中心から離れた地方にいるだけで遅れを取ってしまうのだ。

多様な価値観や様々な背景・アイデンティティをもつ人がいる都市の中で、「自分自身はこの生き方だ」と決めるのは今よりもずっと案外簡単にできた。

「私が好きなものはこれだ」ということにも明確に気が付くことができていたような気がする。

なぜなら、そんなことに悩み続けているような時間を良くも悪くも与えてはくれないからだ。日々は早く過ぎていき、時代はものすごいスピードで流れている。目の前のことに夢中になっていれば、気が付くと自分という人間が出来上がっていく。よくも、悪くも。

さらに言えば「匿名性」で生きていくことの心地よさがある。

土着的な文化になじめず、自分という人間を誰も知らない場所に行きたいという欲求を一度でも持ったことがある私のような人間には、都会のつかず離れずの人間関係を心地よい、と思うのだ。

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ここまで地方へUターンして後悔したことを書いてみたが、いまはというと、「この生活も、まあいいな」と感じている。

理由はここに書いても仕方ないようなことがいくつかはあるが、最も感じるのは上記に書いたような経験自体に価値があると思うからだ。

私は先にも書いたが、18歳で上京してから東京であのまま過ごしていたら、「自分の周りで起きていることが、当たり前」で過ごしてしまっていたように思う。


地元に戻ってきたことで、ある意味以前よりも自分とは違った立場や背景の人に身近に出会うことが多くなり、以前よりも想像力が鍛えられたとも思うし、より自分が何をしたいのかわかってきたような気がする。

さらに、オンライン上でコミュニケートすることが以前にもまして増えてきたからこそ、これまでと比べて場所に対しての感覚は、ほんの少し薄れてきているようにも感じている。実際に、地方に暮らしていても、SNSやPodcast、動画コンテンツなどからあらゆる手段で情報な人と繋がることが可能だ。

今でも時々暮らしに悩むことはあるけれど、都市と地方、メリットとデメリット、というような単純な考え方はもはやもう違うようにも感じる。

これらの経験そのものが自分にとってきっとこの先に、プラスになってくれるだろうと感じている。

最後に、ここまで書いていて気がついたのは、私はなにしろ「東京」という街が好きなのだということだ。日本で一番好きな都市はどこかと聞かれたら、普通に「東京」と答えるかもしれない。

他の都市や国に暮らしたこともあるが、やはり結局東京が印象的だ。あえていうなら、結構嫌いなところもたくさんあるのだが、それもひっくるめて面白い街だと思う。

私がついつい旅先にもニューヨークやロンドンなどの都市を選びがちなのも、様々な人が集まってできた「都市」になぜだか無性に惹かれるからである。



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