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日記 愛してる、レイモンド・カーヴァー

時に「これは自分のための物語だ」と思える小説に出会うことがある。
学生時代には村上春樹、時を経てポールオースターやレイモンドチャンドラー、そしてカーヴァーが私にとってその1人だと言える。

共同起業するも仲違いして人生もビジネスも泥沼になったちょうど5年前の自分をどん底からすくい上げたのもカーヴァーの短編小説だったと記憶している。

そして今またこの作家の文章に私は夢中になっているのだ。

なぜこんなにも惹かれるのだろう。

彼の小説にある気配や感覚は、言葉にするのが難しい。

映画で言えばガスヴァンサントやケリーライカート作品を観た時に通ずるものがあるかもしれない。

3人とも、私がかつて留学をしていたアメリカオレゴン州の作家でいかにも「その土地の気配」を作品の隅々から感じられるのも良い。

そこにあるのは血の通った人間の物語だ。


アメリカの郊外に住み朝晩をダイナーでコーヒーやスクランブルエッグなどの食事をとったり工場で働いたりあるいは求職している人間達。

極端に太っていたり痩せていたり、身近な人を亡くしていたりかと思えば家に異邦人が訪れて思わぬ素敵な出来事に遭遇したりなどする。

そして貧困やドラッグやアルコール中毒が身近にあるだろう人間の話なのに(だろう、というのはカーヴァーはそういうものを明言していないところに魅力があるのだ)そこに悲壮感はなく、なぜか人生の本当のユーモアと喜びが満ち溢れている。

人間の悪意や虚栄心ばかりに目が行きがちな現代のSNSという虚構の病に疲れてしまった時に、私は絶対にレイモンドカーヴァーの小説を読みたいと思う。

他人の幸福や別の誰かの不幸ばかりみて気持ちを左右されるよりも本当の目の前の人生の豊かさや面白さ、あるいは哀しみややるせなさの方に目を向けなければと読むたびにハッとさせられている。

私自身のことでいえば、出産と育児を経験した昨年からよころびの一方で常に感じている拭いきれない心身の変化への戸惑いや、どことなく漂い続ける憂鬱感をどうにか日毎に癒さないかと考えていた矢先に彼の作品があった。

誰かにいうことはないような悩みではないけれど、自分の腹の中で決して消えることのない黒いなにか。決して慰めではない。癒すというよりもむしろこの悲しみや戸惑いこそが、なによりも生きている実感だと感じるのだ。このような感情もきっと何年か後になった時、必ずそれは自分自身の物語になるのだと思えるのだ。

唯一無二の人生の物語にただ圧倒され、そして気がつかば物語のおかしみに夢中になっているのだ。

レーモンドカーヴァー、やっぱり大好きだ。


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