見出し画像

「知らない事」への恐怖心

日々ぼーっと生きてて特にすみませんとも思わないわたくしが珍しく真面目に令和二年の皐月に思うことなどを。
東京では5月25日をもって新型コロナウィルスに伴う緊急事態宣言措置は終了しました。
街は活気が戻ってきた様に思われますが人々は皆、マスクをつけております。当社比で100%に近い数字です。
一方で経済関係のニュースは一様に重苦しく、今年の見通しは様々な媒体を見ておりましても悪いであろう事が予想されております。

新型コロナウィルスにおいて一連のすったもんだがやや落ち着きを見せている今だからこそあえて考えて見たい事として、感染症、病気に対する私たちの意識についてです。
当初、2019年末頃の中国における肺炎のニュースは大々的に報じられることもなく、少し耳にした方は「肺炎」という聞き慣れた言葉にさして警戒もしなかった様に思います。(私は全く気にしなかったし、その前段階の意識として中国の都市部における大気汚染の凄まじさがありました。よってこれらは新しい話というよりも中国国内、都市部の環境要因によるものであると受け止めていました。)
しかしこれが一転して「未知のウィルス」によって引き起こされるものと判明してからはそれこそ世界がひっくり返る様な事態になった訳です。

この「未知の何々」は置き換えてみれば「宇宙人」にもなるし「ジェイソン(13日の金曜日のキャラクター)」にもなりうる訳です。
これはもう現実がフィクションとの境界線を見失った様なものです。
子供らが「口裂け女」の都市伝説を本気で信じるのと殆ど変わらない様な事態を呼び起こす訳です。(ちょっとジェネレーションギャップを感じてしまうかもしれませんが、「貞子」が現実に現れる様な話です。)
私が言いたいのは「よくわからない事」に対しての反応という事です。
決して今回のウィルスが都市伝説であるなどという話ではありません。

「未知の何々」「よくわからない事」は我々が知っている若しくは知っていると思っている事の範囲を出た事象、という事になりますが、これは情報の少なさや誤情報の氾濫等によって非常に大きな影響力を持ちうる訳です。
科学的に考える、雰囲気ではなく実際に起きている事から物事を眺める態度がとても大切な気がします。
そもそも
①新型コロナウィルスとは何なのか
②どうすれば治るのか(それは薬・ワクチンでしか解決しないのか)
と言う根本的な考えをすっ飛ばして、とにかく「感染したくない」「その病(やまい)から身を守りたい」と言う意識が強く働き、ちょっと立ち止まってよく考える事もなく対応する事態が起きている様に思います。
私は人々のこの様子が世間一般にまだHIVがよく知られていなかった頃の事を想起させるのです。

もちろん今回のこのウィルスについても勿論、時間が経てば色々なことが判明し、その時にようやく「正しく恐れる」事ができるのだと思いますが、今はまだ様々なことが「よくわからない」状態です。
何故イタリアやアメリカにおいてこれ程までの感染者数と死亡者数になったか、比較して日本は何故少ないか、それは本当に感染者が少ないからなのか、それとも感染しやすい条件を持った人が日本だけ少なかったのか、そもそも感染と判断される基準は何なのか、判断基準に日本と米・伊で違いがあるのかないのか、判断基準に違いがあるならそれは何故か等、考えれば考えるほど不明な要素が多く不明な要素は「不安の要素」でもある訳です。

不安の要素を払いのける為にマスクや消毒をするのは大いに結構ですが、何事も過ぎたるは及ばざるが如しだと思います。
マスクをつけてランニングして熱中症になってしまっては意味がわかりませんし、マスクをしていないからと言って極悪人の様に人を見るのはあり得ません(そもそもそう思うならその人から離れればいいだけです)。
消毒をするのは構いませんがそもそもその店の入り口に置いてある消毒液は不特定多数の人が触れていませんか。あらゆる菌を殺す為に道を消毒したい欲に駆られる人もいるかもしれませんが、あなたの大腸内にいる菌まで殺したいと思いますか。
そんな事を思った皐月の午後でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?