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震災から12年、干支ひとつ。

東北の震災から12年。
丁度干支を一回り🐇

つまり、自分の干支だったのか。

私は東京にいたので直接大きな被災はしてないが、本当に慌ただしくその一年が過ぎた気がする。

職場は新宿の高層ビルだった。
窓の外に見える、他の高層ビルが、嘘みたいにユラユラ揺れていて、折れそうに思えた。

「信じられないけど、私、生きて家に帰れないかもな」

そう思ったら、一緒に働いていたメンバーと一緒に、せめて温かいご飯でも食べておこうと思った。

幸か不幸か、揺れがおさまって外に出ると、近くの「五右衞門(パスタ屋さん)」がやってるではないか。

メンバーと四人で食事をして、それぞれどうしたいか、どうするか、つまり、歩いてでも帰宅するか、それとも会社に留まるかなど話しつつ、気持ちを落ち着けあった。

携帯も混線して繋がらず、もちろん公衆電話は長蛇の列。
たまに職場の同僚がTwitterで得た情報を教えてくれた。

そんな合間を縫って、地元の友達が公衆電話から、家族が車で迎えに来てくれたから、新宿から地元まで乗り合わせないかとわざわざ連絡をくれた。

こんな緊急時に、貴重な回線を使って連絡をくれた友達には、今でも感謝しかない。

ただ、何時間かかるか分からない閉塞感のある車中、友達の家族のストレスを考えたら、とてもじゃないけど乗り合わせは出来ない。感謝しつつ辞退した。

この行動には後悔はない。

オフィスに戻り、職場に残った同僚と太極拳をやったり、次々と届く悲しすぎる圧倒的な自然の脅威に無力感を感じながら、朝を迎えた。

復旧した中央線に乗り帰宅した後、しばらく自宅待機の期間があり、その後一部リモートワークを再開。

思えば、この時の経験があったお陰で、コロナ禍で始まったリモートワークも、スムーズに受け入れられたのかもしれない。

あれから12年。

●転職を2回して、縁あって、その当時働いていた会社に戻った。

●結婚して、離婚した。

●親がアルツハイマーになって要介護になった。

●保護猫を2匹迎え、1匹は虹の橋に渡ってしまった。

●副業として起業に立ち会いこれからその仕事をクローズさせる。

振り返ると一大事に思えることがたくさんあった。上記以外にも、人生の根幹に触れる大事件が多々あったかもしれない。

でも一番泣いたのは、猫との別れだった。慟哭、という言葉が一番適している泣き方をした。こんな泣き方は多分人生初だった。

なんだかツラツラと書いてしまった。
一つ悔いてるのは、すぐにボランティアで現地に行けなかったこと。
行けなかった、のではない。行かなかった、の方が心情として正しい。

足手纏いになって迷惑をかけたらどうしよう、という臆病な心が足を向かわせなかった。

この心は、他の場面でもむくむくと顔を出しやがる。大嫌いな自分の一側面。

対峙して乗り越えたい。

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