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192 知らない道を歩けば

ラジオで歴史の先生がこんなことを言っていた。

「いろいろな時代の記録や人の日記を読んできたが、どの時代の人も『今は変化の時である』と書いている」

そう、世界は常に変化している。
実際、ここ数年だけを見ても、予想外のことが立て続けに起こった。

目にするとつらくなるようなニュースが多いように感じるが、そんな中でも世界をよくしようと技術の進歩や新しいものの開発に注力する人もいれば、活動をする人もいる。

たとえ大きなニュースにはならなくても、良い変化だってどこかでたくさん起こっていると信じたい。

とはいえ、パソコンのバージョンアップ後に使い勝手が変わっていて混乱したり、新しい言葉に戸惑ったり、毎日どこかしらから送られてくる「〇〇がより便利でお得に変わりました」というダイレクトメールに辟易することはある。

学生の頃は、新しいものを「おもしろい!」と思っていたけれど、ここ最近は「なんだか面倒だな」なんて思ってしまったりして。

望まないできごとによる変化はもちろん、良い変化(たぶん)であっても右往左往するのだから、手に負えない。

世の中の変化が加速していくのを横目に、自分自身は行ったり来たりしているような気持ちになることもある。

そうなると迷子みたいなもので、方向もゴールもわからないまま狭い道をずっと歩いているような苦しさを感じてしまう。

そんな時、私はあえて現実世界で迷子になってみることにしている。
どういうことかというと、目的地も方向も決めずに散歩をするということ。

お財布とハンカチと本だけを持って、ドアの前に立った時の気分で向かう方を決める。身近な知らない町に向かう、気楽な冒険だ。

普段通らない道を歩くのは、素敵なことである。
立派なお庭がついた家があったり、子どもの小さな洋服が干してある家があったり、見落としてしまいそうほど小さな喫茶店があったり、ささやかなお花をつけた草がたくさん生えている空き地があったり。

どこかで見たことがあるような景色。でも、はじめましての景色。
だれかの日常の気配は、私にとっては少し非日常で、でも心地よい。
自分の毎日に客観的になれる時間である。

好みの喫茶店や公園を見つけたらひと休み。

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周りにいる知らないひとをながめたり、目を閉じて頭に浮かぶ思いや記憶をゆるゆると感じたり、本を開いたりする。

そんな風に過ごしていると、時間の流れが少しずつ自分らしい速度に落ち着いてくる。

おしゃれなカフェで働く人の日常。公園で子どもと砂場遊びをするお母さんの日常。自宅の庭の手入れをする男性の日常。

どれも素敵に見えるけれど、その人にとってはいつものこと。
きっと、私の「いつも」もだれかにとっては「いつも」ではないこと。
そう思うと、自分のなんてことない毎日だって特別なものなのではないか。
そんな風に思えてくる。

良いニュースも悪いニュースも毎日たくさんあって、新しいものも生まれて、メディアにはメッセージがあふれている。
処理しきれない量の情報にくらくらすることもあって、自分を見失いそうになるけれど、知らない道を歩いていくと道は一つではないことに気がつく。

新しい物事も他の角度から見ると、違って見えるかもしれない。
その場所からしか見えない景色だってあるのだ。

夕方、見慣れた自分の部屋に帰ってくるとほっとする。
何年も一緒に暮らしている家具、食器、手作りのクッション。
すべてが100点ではないけれど、実家を出て何年もかけて少しずつ暮らしやすくしてきたつもりだ。

これは、自分で起こした良い変化のひとつである。

ただいま。これからもよろしくね。
そんな気持ちで、窓を開けるといつも通りの夜へ向かう空が見えた。

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