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197 きらめく毎日をつなげていく

暑さで目が覚めた。
エアコンはとっくに切れて、おとなしく吹き出し口を閉じている。
まぶしさを感じて開けっぱなしのカーテンの方を向いたら、長方形の青空が見えた。

土曜日の朝。すでに十分暑いが、気温はこれからもっと上がるのだろう。

部屋を見渡すと、散らかり放題でゲンナリした。
テーブルには使い終わったコップ、床には乱雑に積み重ねられた本や書類、椅子には昨日着ていたブラウスとズボン。

私は、ひとつ息を吐いて目を閉じた。
昨日のモヤモヤがまだ残っていて、心を曇らせる。

「天気は変えられないけれど、自分の気持ちは変えられるよ」
昨晩、落ち込む私に職場の先輩がかけてくれた言葉だ。
いつまでもモヤモヤしていられない。まずは洗濯から取りかかることにしよう。

洋服を集めて(鞄の中に入ったままのハンカチも忘れずに)、洗濯機にスイッチを入れる。水が流れ始めると目を奪われそうになるが、それをグッとこらえる。
午前中に部屋をリセットするのだ。
洗濯機の蓋を閉めて、掃除に取りかかる。

コップは流し台に、本は本棚に。運動のつもりでテキパキ動く。
だんだん目が覚めてきて、心地よく汗がにじむ。

ところが、体を動かしている間は忘れることができたのに、椅子に座って書類の分別を始めた途端、上司の声を思い出した。

「ここで働いて何年なの!?ちょっと不注意すぎるんじゃない」
心にずしっと響く。
それは、シンプルで非の打ち所がなく、真っ当な言葉だった。

新卒で入社した会社。もう5年目になる。
会社ではじめての失敗は、顧客メールだ。送る相手を間違えてしまった。それも数十人に一斉送信してしまい、気付いた時には送信済みボックスに大量の宛先を間違えたメールが詰め込まれていた。頭は真っ白になった。

怯えながら上司に報告したら、予想外にやさしい言葉をかけられた。安心したような悔しいような気持ちで、思わず涙がこぼれたことを覚えている。

その後ずっと気をつけていたはずなのに、昨日新卒の時と同じミスをしてしまった。あの時と同じように頭が真っ白になり、そのまま上司に報告した。
そして、あの言葉だ。上司は、きっと私にがっかりしたのだろう。

これはいる、これはいらない。
書類を右と左に分けていく。

ダイレクトメールと仕事の資料の間から来週のスケジュールのメモが出てきた。
手帳を開いたら、そこにはびっしりと仕事の予定が書き込まれていた。ミーティング、書類の提出締め切り、来客対応、顧客へのメール送信。新しい予定は、書き込めそうにない。

ふと、5年前と同じことをしているような気持ちになった。
任される仕事は増えている、給料も上がっている、育てるべき後輩もいる。
でも、やっていることは結局同じことの繰り返しなのではないか。

私は手帳を開いたまま席を立ち、寝室に向かった。
そこには、クローゼット兼物入れの押し入れがある。
社会人になってから、手帳は一冊も捨てていない。
押し入れにしまっているはずの過去の手帳と今を見比べてみようと思ったのだ。

押し入れは奥行きがあり、雑多に物が入っている。
季節はずれの洋服や家電をかきわけていくと、手帳を閉まっている箱を見つけた。
靴が入っていたモスグリーンの箱。
その箱に触れた時、その下にあるもう一つの箱が目に入った。

もともとクッキーが入っていた箱で、たしか学生の頃に気に入ったものを収めていた箱だ。靴箱と一緒にクッキー箱も取り出してみた。テディベアのイラストが描かれたかわいらしい箱。

先にクッキーの箱を開けると、レースやボタン、紙石けん、ハリネズミの置物など、こまごましたものが出てきた。すぐに使う予定はないけれど、取っておこうと思ったものたちだ。

かわいいものはなんでも取っておきたかった10代を思い出すと、ほほえましい。一つ一つ取り出して見ていると、下からきらっと光るものが見えた。

それは、ビーズのブレスレットだった。
思いがけず、「あっ」と声が出る。

水色やピンク、濃いブルーのビーズをランダムにつなげて作ったブレスレット。高校生の時、母に教えてもらいながら作ったものだ。

「こうして、こうして、こう。あとは繰り返しよ」
作り方を教えてくれる母の声を思い出す。
作業がわかったら、もくもくとその時の気分に合うビーズを選んではテグスに通していく。ビーズの色や形の組み合わせを考えるのも楽しい。

母が集めたビーズは、一般的なシードビーズからガラスビーズやスワロフスキーもあった。
私はキラキラしたビーズばかり手に取っていたが、母は華やかなビーズに丸小ビーズなどを組み合わせてメリハリのあるブレスレットを作っている。

母はブレスレットを作りながら、よくこう言った。
「小さなビーズもよく見て。キラキラしているのよ。スワロフスキーほどのまぶしさはなくても、ちゃんと光っている。どちらのビーズもあるから、素敵なのよね」

クッキーの箱から出てきたブレスレットは、そんな母の影響を受けて作ったものだろう。丸小ビーズとスワロフスキーを組み合わせて作ってある。窓から入る光にかざすと、チラチラときらめいている。

繰り返しに感じる毎日。
続いてきたように思えることも、続けてきたことも一つ一つは小さな点。

日によっては、ささやかな輝きかもしれない。
すぐに忘れてしまうほど小さな点かもしれない。
もしかしたら、ほとんど違いがわからないほど同じような点かもしれない。

しかし、それらがつながって一つの人生ができていく。
一つ一つの点は、きらめいている。

昨日の私は不注意だった。昔と同じ間違いをした。
でも、上司の反応は入社したばかりの時と違っていた。
同じでも、違っていること。

昨日の出来事を今後どう活かそうか。
気をつけるだけでは、また間違えることがわかった。
これから、どんな工夫ができるだろう?

私のミスに対する感じ方も、反省の仕方も違う。
同じでも、違っていること。

こんな風に同じようでも違っているなら、一日一日に意味はある。
ただの繰り返しではない。
そう思うと、自然と笑顔になった。

さぁ、掃除の続きをしなくちゃ。
昔の手帳は、まだ見返さなくてもいい。
手帳の箱は開けずに、クッキーの箱と一緒に押し入れにしまった。

昨日の失敗はまだ痛い。
でも、確実に心の雲は晴れてきていると感じる。

「天気は変えられないけれど、自分の気持ちは変えられるよ」
先輩の声をまた思い出して、テーブルに積んである書類を手に取った。

同じようで一秒ごとに変わっていく四角い青空が、静かに見守ってくれていた。

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あとがきおしゃべり

プチプチ小説、読んでくださってありがとうございました。

私の場合は、家事をしている時によく「繰り返し」を感じます。
おとなしく暮らしているのに床は汚れるし、ごはんをしょっちゅう炊いているし、食器洗いは毎日のことです。

くたくたな日は、むしろ頭を空っぽにしてこなすことができるのですが、体力がある休日は「同じことしているなぁ」なんて感じてしまいます。

そこで、家事をする時に何かひとつ工夫をしてみることにしました。
例えば、私はお鍋でごはんを炊くのですが、蒸らす時間を少し変えてみたり、炊けたごはんをどのように保存するのがおいしいか試してみたり。

ごはんのおともだって研究対象ですよ。
明太子のベストな焼き加減を見つけようとか、梅おかかをこしらえる時にみりんを足してみようとか。

調べたらすぐに答えが出るようなことでも、自分の感覚に合うものを自分で探すのって楽しいんですよね。

成功したら幸せだし、失敗したっていいんです。明日があるので。
そんな実験ができるのも、繰り返しの毎日だから。
そう思うと、同じようなことをしている日々は、なんだか贅沢でうれしいものだなぁと思います。

今回は、繰り返しのように感じる日々に潜む輝きを小説のテーマにしました。
きらめく毎日になりますように。

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