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渇愛と志欲

渇愛について

皆さん

「渇愛」を埋めることだけに人生を生きていないでしょうか。

渇愛というのは、感覚器官の快楽を埋めていくための欲求のこと。代表的なのが3代欲求と言われる食欲、睡眠欲、性欲があげられる。

この欲求を日々埋めていきながら、そして死んでいく人生ってちょっと寂しくないですか?

なぜこのテーマを扱おうと思ったかというと、最近ふと「欲」について触れる機会が増えたからだ。

母と会話をしている際に、言われた言葉「欲があるのはいいよね。私はそんなに欲がないから。」

兄と会話をしている際に、言われた言葉「欲なんて今はないかな、子どもを守って、元気に過ごせればいいかな。」

就活をした経験でおそらく人生設計を考えていたからだろう。

海外旅行行きたいから海外に行くためのお金を貯めなきゃとか、高級マンション住みたいからお金貯めなきゃとか、不動産投資したいからお金あったらええよなとか、近くの居酒屋で飲み会してぇな、とか他には、もっと自己成長させてぇ、とか思っている中で、

欲望に際限ねぇな、と。

この欲望を満たすために、必死に働いて金銭を得て、その欲を一つずつ満たしていき、そして最後に残る欲はなんなんだろう。

死ぬ間際に、「あぁ焼肉食いたい」なんて思うだろうか、(それほど焼肉を愛しているのであればそれでいいが、5日連続焼肉を食べ、飽きたと感じた時点でアウトだろう。)

ドフトエフスキーの話で、死刑直前の5分最後にしたことが、今までの人生を振り返り、そして愛する者への感謝である。そう感謝である。

他にも、後悔やら、もっとああしとけば良かったやら色々出てくると思うが、その中で出てくる後悔の共通項はおそらく、

対人に対するものが多いだろう。誰かのためを思い、その誰かのために何かできたのではないか、とか。

その欲求こそ、まさに志欲である。

日々、自分の欲を満たすことに渇望する渇愛を志欲に転用化させていく。これぞ、幸せの鍵を握るのではないかと。

確かに、僕は純粋に食が人一倍好きだと思っていたから、色んな飲食店に足を運び、めちゃくちゃお金を注ぎ込んだ。けれどなぜだろう、20店舗目ぐらいか、

「最初思っていたのと何か違う。」「あんまり感動しなくなった。」

めちゃくちゃショックだった。

しかし、おすすめの店を友人に紹介して実際に「美味しかった」と言われた瞬間は至高であった。

さて、この気づきを次にどう繋げていくか、これが今の僕にとって重要なことなんだろう。

志欲を埋めて行くために必要なこと

渇愛を志欲に転換していく。これが人が人らしくあるために重要なことかつその人が「あぁ、俺の人生最高だったな」と思える鍵となるものである。

そのために必要なことは、結論「人それぞれであるため、日々行動し、探し求めて行くこと」である。

要は人それぞれ人への貢献できる部分は異なるため、各々の才能を発揮できる部分を見つけてそれを誰かのために使うこと。もしくは今までの人生経験で得た学びやノウハウを人に発信して行くこと。

これが志欲を埋めるために必要なことである。

「自分の才能なんてわからない」、なんて声も聞こえそうだが、それは行動していかないとその人が何が得意かなんてわからない。

けれど自分の得意を発揮して行くために自分に問いかけれるヒントがあるとすれば、

「今日自分は、誰かのために何ができるだろうか」

それが現実の行動につながるし、そこから何かを学び、新たな発見から次の行動に結びつけて行くことにつながる。

その学びを蓄積して行って、貢献できる幅が広がれば広がるほど志欲を満たし切れるのだろう。

それを追い求めたいなと思いこれから具体的な自分へのアクションプランを綴りたいと思います。

もし、この文章を眺めてくださっている人がいるのであれば、僕のちっぽけなものですが参考にしてください。

アクションプラン

・自分の得意の可視化

まずこれが挙げられると思いました。自分は何が得意なのか、その得意を生かして、今日はどんなことができるのか、それを可視化しておき、何回も振り返ることは重要だなと思いました

・「この人を喜ばせるにはどうしたらいいだろうか」の思考習慣

人を喜ばせることこそ、志欲の権化。その人の期待を向上させて行くこと。もし誰かに何かを頼まれたら、その人の期待以上のことをして行くことをつなげていきたい。

今回も大きな学びがあったのでoutputさせていただきました。人生を変えていきたいと思います。








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