優先席―いったい私どうすればよかったんだろう?
ある日、私は電車の優先席に座り膝に本を広げ、勉強していた。社内は多少混雑していて、空いている席はなかった。私は流石に本を広げて勉強するのは迷惑かな、と感じ参考書類を文庫本に変え、読書をすることにした。座っていたその席は開閉ドアに近い一番端の席で割りと埋まりやすい席だったと思う。
その読書を始めた時点では、ふっと顔を上げた瞬間に自分のスペースが狭いな、と感じた位だったと思う。なにしろ記憶が曖昧だ。その後すぐに焦る出来事があったから。
私は人混みの中では埋もれてしまう程度には小さいから、よく電車で席に座っていると両側に足を広げたい男性が狙って座りに来る。少なくとも、私にはそう感じる。電車移動という束の間の休息を皆リラックスして過ごしたい。私だって同じ。だから、気持ちはわかる。きっと短足の私とは違って、足を折りたたんで座らざるをえないこの座席は窮屈でしかたがないんだろう。
隣に座っていた男性は、私の占有するスペースをそぐように足を広げていた。いつものように、かすかな不愉快と、困ったなという気持ちと、些細なことだし仕方ないか、という諦めがない混ぜになった考えが頭によぎった。
電車がホームに入っていく。車内に人が流れ込み、私の前にも人が立った。
読書に集中していた私は、習慣的に視界のスミでその人のことを吟味した。女性、杖はついていない、足元のふらつきはなし。一人で乗っているみたい。混んできたときに感じる、見知らぬ人々の妙に圧迫した沈黙を、久々訪れた女性特有の体調の悪さ(せいり)で過敏に察知しながら、判断した。私にはここに座る権利がある。
物語の世界に足をかけ、没頭しようとしたその時だった。
「おい、君。」「だめじゃないか。」
気づいていなかった。と、いうか全く意識していなかった。男性が誰かに話しかけているな、と意識をそちらの方向に向け、辺りをうかがう小動物のように、私は書面から目を離した。「君だよ。前におばあさんが立っているじゃないか。」隣に座る男性が私に顔を向けている。私は前を向く。女性が慌てた様子で「大丈夫ですっ。」と手を振っている。ぼんやりしていた私には何が起こったのかいまだ理解できていなかった。
「席を譲ってあげなさい。」
彼はまるで親戚の子供を諭し、言い聞かせるように、私に席を譲るべきだ、と主張した。
茫然自失していた私は事の次第を了解した途端、お年寄りに席を譲っていない、しかも優先席で、というミスを犯していることを恥じた。そして罪の意識から創りだされた焦りから「どうぞ」と席をあけ渡すしか選択肢が見えていなかった。
そこから2人がどうなったのか、よく覚えていない。とにかくここから消え去りたい、と次の駅で慌てて降り、車両を変えて飛び乗った。そして、ずっと自分が降りる駅まで立っていた。
何が原因か、は結局わからずじまいだったけれど、なんだかとっても辛かった。せっかく世間的には正しいこと、つまり善行を行ったのに思い出すと胸がつまる。記憶に留まったのは不快と不満、これで良かったのかという空虚な不公平感、もやもやとした頭で整理しづらい、口に出しづらい断片化した意見。
「みんな決して悪い人ではない。不愉快にならずに車内で過ごしたいだけ。自分のたどり着きたい場所にそれぞれ交通機関を利用している。そういうの、決して悪くない、と思うんだよ。もしかしてこれが秩序って奴かもしれないって。だけど、」
一体私どうすればよかったんだろう?
(最後の一節は、私の大好きな小説、木地雅映子『氷の海のガレオン』をオマージュしました。)
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