自分がマイノリティだって気づいたこと

私の両親は共働きをしている。だから、いつも他人と価値観の共有が難しかった。




最近、「共働き」に関する情報を聞く機会が多くなった。我が家は非常に珍しい家庭環境で、両親共に50歳を過ぎた今でもフルタイムの共働き家庭である。けれど私が幼かった当時も、現在も、両親がそれぞれひとりで生活がなりたてるくらい稼いでいること・母親が父親よりも帰ってくるのが遅いのは、一般的ではないように思われる。

また、「共働き」に関する情報は多く見かけるものの、フルタイム共働き家庭で育った子ども目線の情報はあまりにも少ないように思われる(※当事者調べ)。なので、みずからの自己顕示欲を満たすため、ここに一つの実体例を示してみたい。ただの自己満足なので、他の家庭のことはよくわからない。もしかしたら、「そんなこと言われなくとも分かっている。ちゃんとうちの家ではうまく回って幸せに生活している!」っていうのなら全くもって問題ない。構わない。ただ、今までの経験から現在の共働き家庭についての意見や記事を読む限り、私には"現実感の伴わない"意見・状況にしか見えないから思っていることを吐き出すってだけ。

文章も稚拙だからここまでで読みたくないのなら閉じてほしい。











私の母親は私が小さい頃から今までずっとフルタイムで働き続けている。母が帰ってくる時間は父よりもずっと遅い。これらのことが一般的家庭と大きく異なっていると気づいたのは何時の事だったろう?しっかりと認識したのは確か、小学校1年生の時だった。当時、物心がつく以前から保育園に通っていた私は「母が仕事をしている」ので「母親が仕事で家にいない」、よって自分は他所に預けられそこで時間を過ごすことは、普通、のことだと思っていた。ふつう、とは、世間の、一般的な家庭の、標準的な生活環境である、と思っていた、ということである。確かに両親どちらかがお迎えに来てくれるまでの時間は寂しいけれど、他のたくさんの同年代の子と遊んで時間を過ごすことはとても楽しかったし、似たような境遇・生活環境だと思っていたので、とくに疑問を持たなかった。そして他の子がどういった生活をしていたのか疑問をぶつける機会も全く必要なかったのだ。けれども、学校に通うようになると状況は一変した。自分のような生活をしているのは、ごくごく少数派、まったくもって一般的ではないことにきづいたのである。まず、母親が子どもが小学生になってまで仕事をしていて、父親よりも帰ってくることが遅い、ということがふつうではない、見方によってはおかしい、ことだと認識したのは衝撃を伴った。これは、現在ではあまりおかしなことではないのかもしれない。しかし当時の私には、母が働いていて帰りが遅いことが友人や他人と共有できず、またそのことを説明すると、「かわいそう」と同情されたり「大変でしょう」と心配されることは心外だった。学校に入るまで、両親が家にいないことを卑下したこともなかったし、母親が家にいないことで起こる弊害、例えば家事を手伝ったり父が食事を作ったりすることは当たり前の感覚であった。自分にできることは自分で行うことがふつうなのだ。であるので、むしろそのような扱いをされること、判断をされることに驚き、つらい思いをすることが多かった。本当に最初の頃は、なぜ私が共働きの家庭の子どもとわかるだけで“かわいそうな子ども”枠に入れられるのか意味がわからなかった。後々、私たちとは違う生活を送っている子→私たちよりも苦労している子→かわいそう、と言った構造になっていることを知るのだが・・・。

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