好きな映画の中の好きな音楽の話③

このタイトルで書くのは③でひとまず打ち止めにする。たちまちのネタが切れたからだ。わざとの素朴さにしても捻りのないタイトルだしほっとしている。しかも話がすぐお思想のことになってしまう。よくない。


「パレードへようこそ」という映画がある。またしょうもない邦題だし、まるで本質をついていない。原題は「PRIDE」。今一番好きな俳優アンドリュー・スコットが出演しているので観たが、彼のことを抜きにしても本当にいい映画だったし、私は抜きにしなかったので、チョーいい映画だった。

マーガレット・サッチャー政権下の1984年夏、ロンドン。炭鉱労働者のストライキの報道を見たマーク(ベン・シュネッツァー)は、彼らを救済すべく仲間たちと募金活動をすることに。しかし、ゲイとレズビアンの活動家グループであるマークたちが必死でかき集めた支援金を受け入れる炭鉱団体はなかった。それでもマークたちはめげず、労働者たちに直接寄付金を渡すためロンドンからウェールズへ向かう。

LGBTに労働組合のデモときわめてトピックは社会派だが、それをうまくドラマとして昇華できていて好きです。予告編の途中で労働組合の人々が合唱するシーンがある。ここで使われているのは「Bread and Roses」というアメリカで1988年にリリースされた歌で、当国の労働運動や女性の権利向上と言ったいくつかの運動の歴史というコンテキストを持っている。ここでそれらのポリティクスに中途半端に触れるのは望むところではないが、映画の中で合唱されるこの歌は、決して見逃せない力強いメッセージを訴えかけてくる。

生まれてから死ぬまで人生は決して休まらない
身体と同様、心まで飢えている
パンがほしい、そして薔薇を(拙訳)

ミュージカル映画の苦手な人は多いですよね。突然歌い出す意味が分からなくて理解ができないというのだ。確かに分からなくもない。死の淵で気力を振り絞って歌うファンテーヌは観る人の胸を打つが滑稽だ。対してミュージカル映画がとりわけ好きな人は、えてして日常の中で突然歌い踊り出すことを当然の背景として持ち合わせがちだ。私は家ではライブ音源を流して歌手になり切るタイプの後者の人間なのでわりとそういう荒唐無稽なミュージカル映画が好きです。だが映画の中では、文脈の中にある歌はもっと強烈に観客の心に訴えかける。

前回からほのめかしてきたが、映画における製作者の主張もこれと同じことだ。世の中には力強い主張がたくさんある。黒人差別をなくそうとか女性の社会参入とかそういう類のやつである。運動家がスローガンを掲げて活動するのはミュージカルのようなものだ。没入のうまい人には届きやすいが、根が冷めている人にはちょっとやそっとでは届かない。だから伝え方を工夫しなければならない。真理や倫理の気づきにはしかるべきタイミングがある。それをエモーションに訴えかけてお膳立てするのが良い映画で、できないのが悪い映画だ。

PRIDEのこの歌「パンと薔薇」は文脈の流れの中にある。労働組合は結束を高めるために組合の歌をたくさん持っているのが普通だ。それを集会で合唱したりする。この曲が歌われるのもその一環で、ゲイのマークの「炭鉱夫に勝利を!」なんて台詞でブチ上がった炭鉱夫たちが歌う合唱は、文脈の美があり、無縁な世界の知らないはずの歌詞がなぜだか実感として胸を打つ。


思想をさておき推しの話をします。

アンドリュー・スコット。アイルランド生まれの俳優で、今月で42歳になったばかりだ。

本作Prideではそんな私の推しが炭鉱を支援するゲイの一人を演じ、映画の半ばで暴漢にボコボコに殴られて入院するなどの快演を見せてくれた。うお~好きだ!!!!!!!!!!この話は長くなるので腰を据えて聞いてほしい。私は同じ話を何回もするのが好きだ。

彼を知ったのはつい先月のことだ。満を持して英国の国民的人気ドラマ「SHERLOCK」を爆速で見終え、当初はなぜだか気になるサイコパスだったキャラクターにいつのまにか背後からロケットランチャーで狙撃され、マインドパレスの奈落に突き落とされていた。全くノーマークだった。私の推しの傾向ははハゲてて背が高くて眼鏡をかけたイギリス紳士であって、表情筋のすこぶる豊かな童顔のチャーミングなおじさんではなかったはずなのだ。っていう話をしてたら「まあハゲ予備軍ではあるわね」などと言われた。わかる。

ピンタレストの保存画像枚数がマーク・ストロングとお菓子のレシピのそれを越えた。彼のどこか歌うようなアイリッシュアクセントを正確に聞き分けられるようになった。ジム・モリアーティというドラマの中のキャラクターからその演者アンドリュー・スコットに興味の矛先が向いたのはすぐのことだ。

推していて幸せだなあと思ったことはありますか。私はあります。あるよ!!!!!それは彼のインタビューとかを読んだときだ。

彼はとても物腰が柔らかい。これは話し方やなんか直接的な意味でもあるがそれだけではない。俳優はえてして出演映画にまつわるコントラバーシャルな質問をイベントで記者陣やファンに投げかけられがちだが、それに対する姿勢がとてもやわらかくて謙虚で思慮深いのだ。うお~~考えてたらめちゃくちゃ好きになってきてしまった。私は彼を好きすぎるあまり先週海外のフィッシングサイトに引っかかってクレカを作り替えるハメになった。

(熱狂的なファンの奇行について面白いエピソードはないかと聞かれて)
「その質問には答えにくいな。結構聞かれるんだけど……スポーツのファンならスタジアムでユニフォームを着て熱狂するのが当たり前だと思われているけど、映画とかテレビ番組のファンのことになると途端に「おかしい」だとか「いかれてる」って呼ばれるのは変だよね。でもどっちにも違いはないよ。大人になっても情熱を注いだり何か本気になれることを見つけられるのはとてもすばらしいことだ。だから変なファンのエピソードはないし、いつでもありのままの素敵なファンと会えることを嬉しく思っているよ(拙訳、ウェールズのコミコン2018の記者インタビューにて)

すばらしい解答だ。記者を傷つけまいとする遠回しなやんわりとした拒絶にファンへの愛を感じる。こういうときに、推しててよかったと思うのだ。不断に思ってしまうのだ。

あと彼はインスタグラムとかツイッターとかをやってない。

好きな俳優がSNSをやっていたら嬉しいし、推しのツイッターはいいね欄まで見る。いいね欄の変動からは見かけのツイ頻度ではなく本当のツイ廃度がわかる。たとえば監視リストに入れている父は2週間に一回しか呟かないがいいねは3日に一回ちょっと増える。

だが、好きな俳優がSNSをやっていなかったらもっと嬉しくなる。それはセレブであるという仕事といち個人としてのプライベートをきっちり分けている証拠で、それだけ生活を大事に生きている証拠だ。自分の価値をいちいちSNSの反応で確認しなくてもちゃんと生きていける人だという証拠だ。

私も理想としてはSNSに拠らず生きていけるようになりたい。

私はツイッターを自分と周りの人間の感覚がずれ過ぎないように確認する用のツールとして使っているふしがある。私がおもしろいと思うことが周りの人にも伝わるかどうかフィードバックで確認して、ウケなかったらあとから消すのだ。

ツイ消しは盆栽に似ている。
すくすくと枝葉の伸びていく木を剪定して、理想のTLをかたちづくっていくのだ。あとから見返して奇妙に突き出た枝はばっさり切り落として、思い思いの盆栽を育てていくのである。

推しの話をし足りないのでまたしようと思います。アンドリュー・スコットをよろしくお願いします。

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