自己紹介 不育症の悲しきモンスター
はじめまして。
自分がずっと苦しめられている不妊・不育について書きたくて noteを始めました。
どうぞよろしくお願いします。
自己紹介
新卒で上京して以来、仕事=書くこと です。
取材、写真、編集、公式サイト運営等を生業としてきました。今はフリーランス。夫と2人で暮らしています。
結婚6年。
私は2回、産声のない出産をしています。
原因不明の子宮内胎児死亡が続きました。子宮内で死んでしまった赤ちゃんを、分娩したんです(=死産)。妊娠中の多幸感から一気に地獄に突き落とされる、これ以上悲しいことはないと思います。人生観が変わってしまうほど壮絶で、絶望的な出来事でした。
普通のお産と同じように陣痛に耐えて出産をしたのに、我が子はいません。すぐに火葬されて、残ったのはふたつの骨壺だけ。
第二子との別れは昨年6月、妊娠中期のことでした。
死別から半年経った今も変わらず、深い悲しみの中にいます。元気で社交的だった以前の自分には戻れていませんし、「以前の自分」なんてクソほど興味ないくらいには病んでいます。
不育症の悲しきモンスター
死産後、杉ウィメンズクリニックで不育症検査を受けて不育症の診断を受けました。
不育症ってご存知でしょうか。
「不妊症」と比べても、「不育症」の社会的な認知は低いように感じます。まだ研究中の領域が多いし、極めて少数派の話なので妥当なのかもしれませんが。
話を戻します。つまり、妊娠できても、生きている赤ちゃんを産むことができないのです。
私の場合、いずれも妊娠12週を過ぎてから、子宮内で赤ちゃんが亡くなってしまいました。
前日まで胎動があったのに、何の前触れもなく、翌日に心臓が止まってしまいました。
不妊で5年も苦しんで、体外受精の末にやっと授かった命だったのに、自分の子宮がまたも赤ちゃんの心臓を止めてしまったようです。
子どもを産み育てたいと夢見ているのに、
自分(の子宮)が我が子を殺してしまう…なんて悲しきモンスターだろう。
コントロールできない領域とはいえ、あまりに無力です。
赤ちゃんがお腹にいた頃、エコーで見せてくれた元気な姿。パタパタと手足を動かして、確かに生きていたあの子は、私の子宮じゃなかったら無事に生まれることができた。
私だから産んであげられなかった。
“普通は”、“普通に”妊娠出産できるのに。
そんな自分を許すことができるでしょうか。
死産後は自己肯定感が下げ止まりません。
自分が憎い。
愛しい命を守れなかった。
夫や母を泣かせてしまった。“普通は”経験しなくてもいい絶望に巻き込んでしまった。2回も。
当初は家族を困らせるほどメンタルが崩壊しました。
妊婦さんや新生児を見ると苦しくて、外を歩けなかった。骨壷を抱いて一日中泣くことしかできなかった。何を食べても味がしない。眠れない。希死念慮との戦い。「人殺しだから警察に出頭する!」と暴れた夜もあった。生きてるだけで精一杯だった。
この経験って少数派すぎて、友人知人からは「かける言葉がない」と言われます。社会的に孤立してしまい、こじらせ、生きづらいです。
noteを始めた理由
誰かの役に立ちたい!我こそが!
と勇んでいる人を見ると、じゃあ自分はいいか、と引いてしまう節がありましたが、いまはそういう気持ちで動きました。
弱っているとき、自分と同じ境遇の方々の言葉、X(旧Twitter)やブログに何度も救われました。その出会いから、参考になる情報を沢山与えてもらいました。
先人の方々のおかげで辛くも生きられたので、自分の経験や情報を記録することで、いつか、少しでも誰かの役に立てたら幸いです。
自分自身が情弱だったために遠回りしてしまい、2度も我が子の火葬を経験してしまった、こんな地獄を見る人が、同じ後悔をする人が出ないよう、心から願っています。
なお、いずれの記事においても代表として意見することは一切ありません。一患者の独断と偏見による分析やレポートとなりますのでご容赦ください。
最後まで読んでくださった方がいらっしゃったら、ありがとうございました。
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