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着物のこと。


薄暮。

駅から家に向かう道には幾つかのルートがあるのだけど、ふっと横を見たら着物姿のマダムが歩いているのが見えたので、そっちの道から帰ることにした。後ろをつけて着姿をじろじろ眺めて勉強しちゃう心づもりだ。実はここのところ、着物を着ている人を見て、よほど不自然でない限りは必ず後をつけるようにしている。

そのマダムは帯付きで結構な大股で歩いていた。白系の帯のお太鼓の上辺がやや崩れて斜めっていた。きっと外出時間が長くてくたびれているのだろうと思われた。

やや薄暗くて私の視力が足りず、だいぶん追いかけて近づいたところで、その紺色っぽい着物が「多分、紬の何か」だと言うことと帯は「多分、名古屋帯。あんまり派手じゃないやつで金糸銀糸とか使ってないけど刺繍がなされている」と言うことと、「オレンジの八掛が見えるから袷」だと言うのと「帯揚げもオレンジで帯締めは赤」と言うのと「草履はちょっと薄め」だと言うのが見て取れた。ふむふむふむ。バッグは緑のオーストリッチのハンドバッグである。ふむふむ。

それにしてもガッサガッサと大股で歩いているので裾がかなり捲れ上がっている。裾って結構捲れ上がっちゃうもんなんだなぁ〜、と思ったところでうっかり私が追い抜かしてしまった。マダムはスーパーに入って行った。

いやいや短い時間ではあったが大変勉強になった。


ところで、9月にきもの学院に入ってかれこれ5コマほどレッスンを受けたが、依然として普通に自装できる気がしない。

確定申告もかくやという勢いで毎回、前回やったことを完全に忘却している。肌着はどうつけるのであろうか、補正のタオルはどこに挟むんだったであろうか、という初歩も初歩なところから、もう長襦袢を身につけるのも毎度、怪しく、おのれを危ぶみながらなんとかかんとか着装するものの今度は着物を着るまでの間に胸元がぐずぐずのぼろぼろに崩れまくってしまい、あまりの酷さに講師のチェックが入り再び長襦袢から着付け直す。すでに汗だくである。

そうこうしながらお稽古用のポリの小紋をあーのこーのようやく着たところで、帯板を巻いてだな。今日のお稽古のメインテーマたる帯の付け方のバリエーションも、一度やった忘却の彼方から記憶を辿るものの、もう何も覚えていない。愕然。

ええい、たったの1コマ1時間半で何ができようか。

ある夜の時間帯のお稽古では面倒見のいい80代のおばあさま先生が規定の1時間半にプラス1時間オマケに付き合ってくれて帯を締めたり解いたり締めたり解いたりを5回もくりかえさせてくれたけど、そこまでやってもあにはからんや翌週には頭から完全にすっ飛んでいた。ぴえん。

1年36コマ終えたところで、どこまでいけるのかもう本当に謎でしかない。

着物にハマってこのかた、着物に関する本もアホほど読んでいるのだけど、とにかく着ろ、合ってても合ってなくても恥を忍んでとにかく着て外に出ろ、話はそれからだ、という勢いで書いてある本は「本当のことを言っているな!」と心強く読めるし、素直に参考にしようと思える。しかし着て外に出ろって……それが難しいんだよなぁぁぁ。

そういえば今日実家の片付けをしていたら古いアルバムが出てきて、どうも母の成人式のか、お見合い写真か、という着物姿の写真があった。

遺品に謎の小紋があった。何度も着た気配があり、若干のシミも見受けられたが、感じのいい柄で「なんだろうこれ?」と思っていたものだ。

ああ〜あれか、あの着物か、でも成人式なのに小紋なのか? 昭和40年代だから? 当時の習俗はよくわからんな。でも髪飾りまでつけているし、写真館で撮られたものだし、やっぱり成人式かお見合いかで着ているんだから、とにかくはちゃんとしたものなのだろう。

そこで巻かれていた帯にも見覚えがあった。紺地に銀と赤の刺繍模様の、わけわからんだせえやつ、と私が避けてしまっておいたものだった。あれ、おめかし用だったんだ……。

積んでおいたところから、なんとなく持ち帰ってきた。

着物にハマった人あるあるでしかない話だが、ハマってこの方、着るよりはるかに高頻度に着物をもらったり買い集めたりしてしまって(リサイクルですよ)もうとんでもない勢いで着物も帯も小物も増えているのだけど、さてはてこのヘンテコな帯には一体手持ちの何が似合うのだろう、と考えてしまう。しかしそれがすさまじいほどに、心愉しい。

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