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秋の夕べに、草原を渡る風を感じ、希望を感じる宣言を聴いて来ました♬

10月5日の夜、東京の初台にある、東京オペラシティのコンサートホールで、文化庁主催の「アジアオーケストラウィーク」と銘打った、シリーズコンサートの一つを聴いて来ました。

このシリーズコンサートは、2002年から始まっているようです。アジアの各地域の主要なオーケストラを招待して、3日間、コンサートが開催されます。

私が、このシリーズコンサートを知ったのは、12年前です。東日本大震災が発生したことが出会いとなった、仙台フィルハーモニー管弦楽団と、当時楽団の正指揮者だった、山下一史さんがご登場だったからです。その4か月前に一目ぼれして、この時の初台の演奏で完全にKOされて以来、今も最愛の存在の両者です。

あの時仙台フィル&山下一史は、トリを務める形でしたから、最終日の担当。満席の会場を、圧倒的な名演で熱狂させたものでした。

あれから12年。今度は山下さんが千葉交響楽団を率いて、初日に登場です。
しかも、千葉響が東京のコンサートホールで演奏するのは、これが初めてです(私が知る限り。少なくとも、山下さんとの共演はなかったはずです)。

足掛け8年、このコンビの進み行きを観てきている私は、何処に出しても大丈夫な実力をつけていると確信しています。けれど、知名度においてどうしても劣るし、東京のオーケストラ至上主義者も少なくない東京での演奏会です。Facebookで記事のシェアなどをして、ささやかな広報活動のお手伝いなどもしてみましたが、果たして集客は大丈夫なのか。もうほとんど、関係者の気分でした。

加えて、10月1日の八千代市のコンサートが、私にはすこぶる不調のように聴こえてなりませんでした。それだけに、コンビネーションとかコミュニケーションとか、コンディションとかが、さらに気がかりだったのです。せっかくの晴れ舞台のチャンスです。存分に実力を発揮してほしいと、願わずにはいられませんでした。

結果として・・・・。私の心配は、幸いにして、すべて杞憂にすぎませんでした。

オープニングの、ロシアの作曲家のボロディンの「中央アジアの草原にて」の演奏の最初の一音を聴いた時、「あ、大丈夫だ!」と安堵したものです。フルートののびやかでさわやかな音色は、まさに、広大な草原を吹き渡る清々しい風を連想させました。それは、秋の心地よい風を思わせ、ちょうどこの季節に聴くにふさわしいと実感させてくれたのでした。

聴き手を、秋の心地よい空気で包んだ後、演奏されたのは、團伊久磨の管弦楽組曲「シルクロード」。パンフレットによれば、團伊久磨作品では人気も高く、演奏されることが多いのだそうですが、私は初めて聴きました。

私は若いころ、何故か”シルクロード”に魅かれていた時期があります。そのため、当時人気のあった喜多郎のサウンドトラックのカセットテープを買って、聴いていたりしたものです。今でも、ふと”シルクロード”という言葉を聴くと、何となく懐かしい気持ちになります。

そういう私ですので、團伊久磨の作品は知らないけれど、自然興味がわいていたのでした。

私の席はいわゆる”かぶりつき”でしたので(チケット買う時、失敗したんです(>_<))、オーケストラ全体を見渡すことはできませんでした。けれど、その分、山下さんの表情は手に取るようにわかりましたし、弦楽セクションの頑張りもいたいほど伝わってきました。全体はわからなくても、楽器の音色の響きは、ホールの響きの良さもあって、生き生きと伝わってきます。

地の底から響いてくるかのような、深く重い千葉響の特色でもある低音の魅力も、存分に堪能しました。アラビアの蛇使いの笛の音のようなエキゾチックなメロディや、ラクダに乗った隊商の列を思わせる悠長な音の列だったり・・。そうかと思うと、楽しそうなお祭りのにぎやかさがあふれていたり、静かで気持ちが落ち着く場面もありました。

最終楽章の文字通りの「行進」は、力強さに満ちて、聴く者の心身を鼓舞する明るいエネルギーがあふれていました。身体がリズムに乗りたくて反応するので、いささか困ったものでした(これが欧米だと、そういうことは普通らしいのですが)。

「シルクロード」の演奏が成功したことで、私はもう大丈夫だという思いを強くしました。何故なら、今回のメインは、ムソルグスキー作曲・ラヴェル編曲の組曲「展覧会の絵」。これは、3年前に山下&千葉響が定期演奏会で取り上げていて、見事に成功させているんです。よほどのことがない限り、
失敗することはないだろう、と、確信していたのです。

私の確信は裏切られませんでした。今回、1日の八千代市でのコンサート同様、弦楽セクションのトップはすべて客演の方々ばかり。けれど、前半の演奏の濃密さから考えれば、セクション間のコミュニケーションなどはうまくいっているのでしょう。

おそらくここには、ゲストコンサートマスターの森下幸路さんの力が大きく働いているのだと、私は想っています。森下さんは、何度も千葉響のコンサートマスターを務めておいでなので、このオーケストラのことをよくご存じです。しかも、山下さんとは仙台フィル時代からのお付き合いのようで(森下さんは、かつて仙台フィルでもコンサートマスターをお務めでした)、信頼関係も深いようです。個人的には存じ上げないのですが、舞台で拝見する限りでは、常にひょうひょうとしてらして、穏やかでもあり紳士的な方のようです。それでいて、ヴァイオリンの演奏はもちろん、超一級品! 

千葉響そのものは、実は正規の楽団員が少なくて、大きな作品の演奏をするときは、かなりのエキストラ(助っ人ですな)を必要とするのが実情です。それだけに外部の方を受け容れることに慣れているところはあるのかもしれません。そうした事情が、今回、いい方向に作用したと言えるかもしれませんね。楽団員かそうでないかにかかわらず、音楽を作り上げる仲間として、演奏できる環境が整っているのでしょう。

メインの「展覧会の絵」は、華々しいトランペットの響きから始まります。この作品は、ムソルグスキーが亡くなった友人の画家の回顧展に行って、10枚の絵を眺めてゆくというさまを描いたのだそうです。明るいトランペットの響きで始まった演奏は、その後、絵の中身を表現するためにいろいろな表情を見せてゆきます。おどろおどろしい雰囲気だったり、やはり、華やかさを持っていたり・・。緩急自在にオーケストラを鳴らす山下さんの表情が、くるくる変わるさまも、私は頼もしく眺めていました。指揮台のうえで、ヒートアップしてゆくマエストロに対して、柔軟に見事に応えていたオーケストラの演奏に、胸を熱くしながら。

このコンビのスタートから聴いている私は、「ここまでに、なったんだなぁ・・・」と、感慨に浸ってしまうのです。もういいだろうとは思うんですけれどね。

7割強は埋まっていた客席からの熱烈な拍手に応えてのアンコールは、チャイコフスキーの「白鳥の湖」からマズルカ。行進曲のような勇ましくも明るい演奏から、私はメッセージを聴きとった気がしました。

「我々は、これからも音楽とともに、皆様と前進してゆきます!!」

12年前、仙台フィル&山下一史の演奏からもメッセージを聴きとった気がしたものですが、やはり、良い演奏というのは、聴き手に伝えるものを持っているのでしょうね。

終演後、帰宅するための電車は、激混みでしたが、頭の中には、聴いたばかりの演奏の一部が流れていました。身体はくたくたでしたが、頭の中ではいただいてきた画像のような、晴れ晴れとした秋晴れの空が広がっていた私です。山下さん、あと一期(何年かはわからんですが)、千葉でやって下さるような希望を持った夜でした。

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