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言葉による刷り込みは、怖いなぁという話。

ちょっと以前から抱いている違和感について、今日はつらつら書いてみようと思います。

「主人」という言葉があります。私の愛用している「新明解国語辞典 第三版」によると、意味するところはこんな感じ。

1 (客に対して)その家の長で、客を呼び迎える側の人。「--役」
2 一家の長(妻が他人に対して、自分の夫を指す時にも使われる)
3 (雇人に対して)一店の長。だんな

私の国語辞典は、高校生のころからの愛用品なので、今はもう少し変わっているかもしれません。ですが、おそらく大きな変化はないと思われます。この言葉に関しては。

私がここで気にしたいのは、2番目の意味です。

子どものころは、何の疑問もわきませんでした。母も周囲の奥様達も、当然のように使っていましたから。けれど、だんだんいろんなことを見聞していくうちに、「なんで、夫が”主人”なんだ? 妻子は世帯主の家来や使用人なのか?」と、疑問がわくようになったんですね。

私の父は、「俺が、家族を養ってやっている」という自負が、支えだったような人でした。学歴も中卒の貧しい家に育った彼は、女性ばかりの妻子を、見下している部分がありました。なので、妻に自分の稼ぎの少なさを指摘されれば、機嫌が悪ければ怒鳴りつけて、翌日は欠勤したりしていました。また。娘が自分に逆らうようなことを言うと、「お前、誰のおかげでご飯が食えると、思っとるんや!!」と大声で恫喝するような人でした。

今思い返せば、子どものころから母親の代わりに家事の一切をまかされ(祖母は、産後の肥立ちが悪かったことから、臥せることが多かったそうです)、子どもらしい生活を送れなかったうえ、愛情に飢えていた部分があったようです。なので、自分の頑張りを家族に認めてもらえる、自分を立てた、温かい家庭が欲しかったのでしょう。

けれど、その願いはかなわなかった。その寂しさややりきれなさから、自分のプライドを守る意味もあって、妻子をはじめとした女性を見下す態度に出ていたようです。まぁ、これには父だけを責められない部分もありますが、それはここでは割愛します。

私が「主人=夫」という使い方に、高校生のころから疑問を抱くようになったのも、こうした家庭環境があることは否定できません。ただ、比較的社会的地位が高い女性だったり、ご自分でバリバリお仕事をして自立している女性であっても、ごく自然にパートナーを「主人」と呼んでらっしゃることが多くて、びっくりすることが少なくありません。

そうした方々は、聡明で思慮深い方々なんです。それなのに、ご自分は「夫の家来、或いは使用人」という意識なのかな? 

こういうことを言うと、「各々が理解し合って、信頼し合っているなら、相手をどう呼ぼうと、問題ないんだ!!」と叫ぶ人もいます。私が知る限り、そういう人は男性です。呼び方に意識的になることを”表層的”と、決めつけていたりします。妻が夫婦関係に意識的になることを、恐れている気が私にはします。

もうひとつ、私が疑問に思っている言葉に「えさ」というものがあります。
食べ物のことですが、これは100%人からほかの生き物に対して与える食事を指します。

私がいろんな形でつながっている方々には、動物がお好きな方も少なからずいらっしゃいます。まぁ私自身が、ビョーキと言えるほど彼らを必要としていますから、動物がお好きでない方は自然に離れてゆきますがね(^_-)-☆

ただ。私から観ても「本当に、その子を愛してらっしゃるんだなぁ」と深く共鳴するほどの方でも、その子にあげる食事のことは”エサ”であることが圧倒的です。

以前、或る人から鳥さんのことで相談を受けたとき、あまりにもその人が”エサ”を連呼するので、「私は、人の食事を”エサ”とは言いません。なので、家族の鳥さんの食事も、”エサ”とは言わないです」といったことがありました。私はその人が、むっとして去ってゆくならそれでもいい、と思っていたんです。何故か露悪的な物言いをする人で、私自身辟易していたからです。

そのひとは去ってゆきませんでした。私の言うことを了解したうえで、今度は人の食事のことも”エサ”というようになったのでした・・・・・(>_<)

相方にそのことを話すと、「そりゃあ、筋が通ってるね!」と大笑いしていました。筋は通っているかもしれませんが、ねぇ・・・・・(>_<)

自分の意識がおかしいのかなと、ふと不安になりました。そこで、先ほど引用した「新明解国語辞典」に再登場していただきました。ここには「えさ」の意味として、以下のようにあります。

1 鳥・獣・魚・虫などの生き物を育てたり捕えたりするための食物
  (人をおびき寄せるための手段にするものの意にも用いられる)

2 「人間の食料」の俗称

なるほど。確認のために辞書に当たるのは、なかなか有意義ですね。先に紹介した知人の使い方は、決して誤用じゃなかったわけです。俗称だったとしても、辞書に「人間の食料」を表す言葉と認定されているんですから。

この「えさ」についても、私は子供のころは普通に使っていました。愛犬に対しても愛鳥に対しても。動物の食事は「えさ」と言うんだと、何の疑問も持っていませんでした。

それが変わったのは、私自身が長いペットロスを経て、再びインコたちと暮らすようになってからです。独り暮らしをする中にあって、鬱と向き合いながら生きてゆく中での、かけがえのない存在に彼らがなってからは、どうしても彼らの食事を”エサ”とは言えなくなったんですね。関係性の変化が、言語感覚にも影響したということでしょう。

「主人」にしても「エサ」にしても、こうした感覚は、私個人のもので、他者へ強制・強要はできません。だからこそモヤモヤするわけですが、ただそうしたモヤモヤの中で、ふと思うのは、こうした言葉の使い方は、誰もが子供のころから周囲の大人やメディアによって、無意識に刷り込まれているんだなぁ、ということ。その刷り込みが、悪意はないけれど根強い差別意識につながっているんじゃないかなぁ、と愚考するのです。

ただ、ネット通販で、うちの子たちのご飯の一部を定期的にお願いしている或るショップさんは、利用者の意識に敏感な部分もあります。”エサ”といっていたのが、気が付いたら「鳥のご飯」「鳩の飼料」などと表記が変わっています。私は、直接注意したこともないのですが、商品レビューなどで”エサ”という言葉を使わない態度を取っています。おそらくは、ほかの利用者さんたちから指摘されたのだと思いますが、そうした声を受け止めてくれるお店はありがたいなぁ、とうれしく思ったりしています。

或る時ふと「あれ?」「おや?」と思ったら、立ち止まって、自分の頭で考えて、自分なりの答えを出してみること。すぐには出なくても、考え続けてみること。それは大事なことなんだなぁ、と、改めて痛感する今日この頃です。

GWも、あっという間でしたね。私自身には全然関係ありませんでしたが(相方も、郵便局員なので関係なしです)、寒暖差もありお天気も変わりやすくて、大変だった方もいらしたでしょう。新年度のお疲れなども少しは取れたでしょうか。今週も半ばには、またもや寒の戻りがあるようです。お天気もよろしくないとか。どうぞ皆様、くれぐれもご自愛くださいませm(__)m💕💛

ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を捧げます。
ありがとうございますm(__)m💕💛

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