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メッセンジャーの役割が終わった時ーーーペットロスから解放された方の姿

残暑お見舞い申し上げます♬

どうやら、酷暑も峠を越したようですね。我が家の周辺では、秋の虫たちが鳴き始めました。

ツクツクボウシ、カネタタキ、コオロギ。虫がお嫌いな方や興味がない方には、通じないかなぁとは思いますけれど。私は、小学生時代、夏休みは、虫捕りが日課だったこともあって、虫の姿の移り変わりで、季節を感じたりします。もちろん、彼ら以外でも、季節の変化を教えてくれる存在は、たくさんいますけれどね。

さて。長い間、頭の中で外へ出たくて暴れていたネタたちを、少しずつ解放しようと思います。久しぶりの投稿なので、明るいものから始めましょうか。
それが、私に「メッセンジャーの仕事が終わるって言うのは、こういうことだよ」と教えてくれた事例です。

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昨年の5月の末、1頭の猫さんが、天寿を全うしました。20歳の女の子です。私は、猫さんと暮らしたことはないので、猫さんのことは断片的にしか知りません。しかも、実体験としては何もないので、友人たち(猫と暮らしている人・猫が大好きな人が何故か多いのですね)から、教えてもらうことがほとんどです。
そういう知識を総合すれば、20歳は、大往生だといっていいでしょう。けれども、彼女を愛していた人たち、彼女を必要としていた人たちにとっては、わかっていても彼女の不在は受け容れ難い。理性では理解しても、感情が、現実の、つまり、彼女の不在という現実を受け付けないのです。

こうした飼い主さんたちの悲嘆を案じた魂たちが、時折、”言葉”が通じる人を見つけて、メッセージを託してくることがあります。どうやって見つけるのか、私などには見当もつかないのですが、どういう成り行きからか、6年前あたりから、突然メッセージを託されるようになったのです。
ペットロスに対しては、私自身が苦しんだ経験を持つので、なんとか、この泥沼から抜け出せるようお手伝いをしたい、と、長い間思っていました。なので、カウンセラーを考えていたのですが、メッセージを託されるようになってからは、こちらのほうが、飼い主さんの力に早くなれる、と、気が付きました。
もちろん、私との信頼関係が基盤にないと厳しいのですが、それほど深いお付き合いをしてない方であっても、託されたメッセージが本物である以上は、内容に納得できるものがあるらしいのです。それが、飼い主さんたちの悲嘆を相当軽くする力を持っているんですね。

私は、その魂たちと飼い主さんたちとの関係性を、詳しく知らないことがほとんどです。Facebookを通じて知り合って、写真を観たことがある程度のケースが大半を占めます。それなのに、私に託してくる子たちがいるんですから、驚きます。また、メッセージを伝えると、飼い主さんたちが納得してくださることにも、いつも「そうだったんだ」と、安堵ともに、やはり、びっくりしています。

ただ。先ほどご紹介した猫さんの場合は、ちょっと、違っていました。

彼女から、メッセージを託されたので、まず、飼い主さんにメールでお伝えしたんです。飼い主さんは、私が大ファンのチェンバロ奏者の方なんですが、個人的に深いお付き合いがあるというわけでもないんです。けれども、メッセージには、腑に落ちるものがあったようで、納得してくださいました。20年一緒だったのですから、彼女の不在から来る喪失感とか寂寥感とかは当然あったようですが、ペットロスの沼に落ち込むことはなかったようです。

問題は、彼女(チェンバロ奏者の方は女性です)の弟子筋にいて、飼い主さんが家を空けるときなどは、猫さんのお世話もしていて、その猫さんと相思相愛だった男性でした。彼は、自分が心から愛せる存在に初めて出会ったらしいのですね。彼は、猫さんと20年のすべてを過ごしたわけではないようですが(この辺の詳細も、私は全然知らないままです)、それでも、心底その子を愛して、大切にしていたようです。
表面では、悪ぶるようなところもある方ですが、本質はとても純粋で、優しい少年であったりします(実年齢では、40歳過ぎです)。それだけに、”愛猫”を喪ったショックは、あまりにも大きかった。逝く1年前にも、一度体調を崩した猫さんの看病を、献身的にしていたようで、その投稿も私は観ていましたから、彼の悲嘆の大きさを案じてもいたのです。
何より、猫さんが、彼の取り乱しようのすさまじさを案じて、私に予定外のメッセージを託してきたのですから、彼のペットロスの泥沼ぶりは、推して知るべし、と、申し上げるほかありません。

しかも、彼は、私が伝えたメッセージを、受け入れられなかったようです。それこそ、頭ではわかったとしても、猫さんが夢に出て、彼に語り掛けてきたわけでもないのですから、感情が受け付けなかったようです。
私は、自分が伝えることを、飼い主さんたちが受け容れられなくても当然だ、と、思っている部分があります。つまり、目に見えない、誰にでもはっきりとわかるわけではないから、それが本当かどうか、証明のしようがないのです。
ですから、彼の無言の拒絶も、或る意味自然なことと受け止めました。ただ、泥沼から抜けようともがく中で、或る本の感想文の形を借りて、罵倒されたのには参りました。八つ当たりだとわかっていても、きつかったです。メッセンジャーを仕事にしようと宣言した矢先でしたしね。

彼が本当は優しい人だとわかっていたので、距離を置いて、見守ることに徹しました。こういう時、言葉をかけたところで、彼には届きません。壊れる関係なら、やむを得ません。成り行きに任せることにしました。

この彼は、実はアマチュアとして、音楽活動もしています。ライヴハウスで演奏したりもしています。何度か誘われたのですが、都合がつかないままでした。コロナ騒動もあり、随分厳しい活動であったりもしたようですが、今年からは、少しずつ、活動を本格化させているようです。そうした中で、まるでそれが決まっていたかのように、彼から、5月末のライヴの案内が来たのです。
その案内が来た頃、我が家は、多肉植物の植え替えの真っ最中。ある日、なくなった猫さんから、お願いが届いたのです。
「ドクター、そのなかから、ドクターのお気に入りのを、T(飼い主さんのお名前です)と、お兄さんに分けてやってくれない?」
お兄さん、というのは、ライヴをやる彼のことです。何か考えがあって、彼女は、そういうお願いをしてきたようです。快諾して、植え替えをしたものを、ライヴ会場に持参して、お二人に渡しました。お二人とも、私が思っていた以上に喜んでくださいました。その姿に、私自身心から安堵して、ライヴを楽しみました。かなり、立ち直ってきてるな、という確信もありました。

それからいくらか時間が経った頃です。

Facebookで、「この投稿は、観る人を限定しています」との但し書きが付いた、彼の記事が届きました。つまり、私は観られる人だったんですね。

そこには・・・、なんと! 彼が2頭の子猫を知人からもらい受けた、という報告がありました。知人の家の猫さん(なんでしょう、たぶん)が、4頭の子猫を生んじゃった。助けてくれ~!とのSOSが届いたのだそうです。それを受けて、彼は「Mが運んできてくれた縁かも」と思って(Mというのは、なくなった猫さんの名前です)、引き受けたとのこと。
一時は、「俺のようなダメ人間は、もう、命とは暮らせん」とまで嘆いていた彼が、勇気を出せたこと。Mちゃんの喪失への悲嘆は抱えながらも、新しい命を迎え入れる力を、得たこと。それらは、彼が、ペットロスという泥沼から、ようやく抜け出せたことの証です。最近では子猫の話題が出ていませんが、順調に育っているんでしょう。
彼のこの記事を読んだ時、万歳三唱しながら、「ああ、これで、この件での私の仕事は、終わったんだな」と実感もしました。飼い主さんから依頼されたわけでもなく、私の修行みたいなものなんですが、研修の段階で、ゴールまでたどり着かせていただけて、ラッキーだったかな、と、考えています。

依頼されたものではなかったので、私が介在できる範囲は、きわめて小さかったのですが、それでも、少しでもお役に立てたならうれしいな、と、思います。

ペットロスに陥る方は、命と誠実に向き合える方なんです。そういう方たちの手を、人と暮らすことを選んで生まれてきた命たちは、心から求めています。だから、そういう方々が、悲嘆の泥沼に沈んでしまう前に、命との生活をあきらめる前に、なんとかお手伝いをしたいな、と、思っています。

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長くなっちゃいましたので、今夜はこの辺で。皆様、くれぐれもご自愛くださいませ💕

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