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【Y2K】現場に出ろと言ってくれたアパレル社長マイケルに背中を押されて

あっという間の9ヶ月。FIDMでの生活も3Q(クオーター)目に入る頃にはすっかり慣れてきたと同時に、いよいよゴールが見えてきた。

たった9か月の学生生活ではあったのだが、このプログラムを頑張った特典が、外国人学生たちに与えられる「OPT (Optional Practical Training)」というやつだ。

OPTは、簡単に行ってしまうと、「お試し米国人期間」。OPT期間中に、ソーシャルセキュリティナンバーも得られるし、仕事も米国人と同じように制限なき働くことができる。

もちろん、先を考えている企業にとって、OPT保持者は、「ビザを出さないと働かせられない労働者」とみなすので、就職活動はけして楽ではないのだが、しがらみも少ないアルバイトであれば、OPTさえあればいとも簡単に正々堂々と働ける。

というわけで、私はとにかくこのOPTの期間中「米国ファッション業界にどっぷり浸かる」と決めていた。

インターンとして数回体験したファッションショーはもちろん最高にエキサイティングだったけれど、大きなメゾンに入る、デザイナーのアシスタントになるというようなイメージは、どうも私には描けなかった。

OPT期間=学校の卒業を目前に、とにかく焦る私。

ちなみに、留学前の予定では、あと1年間FIDMの特殊なコース「Advanced Program」に進学することを考えていた。しかし、FIDM卒業直前に、NYのアパレル老舗「Spiewak」の当時の社長、マイケル・スピワックスさんと電話で話し、「この業界でやっていきたいなら、学校はほどほどにして現場に出なさい」と言われたことをきっかけに、進学するのをやめた。

マイケルはFITで講義をするほど、100年以上続く軍や官庁に納品する高品質のユニフォームを製造するアパレルメーカーの社長として、この業界で存在感を持っていた経営者だった。彼の代に、ファッション性の高いアイテムラインを構築して、日本のアメカジブームの中でも人気のジャケットやコートを作っていた。

マイケルの意見は、素直に聞いておこう。

そう思えたのは、マイケルやマイケルの下で働くスピワックチームの仕事ぶりや、何よりも彼らが作り出している服に対する私の中に絶対の信頼があったことも大きい。

ポーランド系ユダヤ人であるスピワックス家。ファミリービジネスとして成功した彼らとの出会いは、私にとって「ユダヤ系の人たちは、真面目に働く人たち」というイメージが刷り込まれた。

ちなみに、私は話しして1年もしない内にマイケルが若くして急に亡くなった。そして継いだのは確かマイケルの甥だったか従兄弟だったかに当たるロイさん。彼とマイケルは性格も違うし、そもそもファッションラインに懐疑的だったようで、2008年のリーマンショックでファッションブランドが軒並み壊滅的だった時代を経て、スピワックスは以前の「ユニフォームビジネス」に特化するようになった。個人的には残念でしかたない。

さて、いよいよそういうわけで、働かなくては。
卒業後のOPT期間で稼げる場所探しに躍起になった。わからない。

私は学校の授業で連れて行ってもらった「California Market Center(CMC)」を主戦場と決めて、1年間働ける場所を探すことにする。

当時CMCには、「Green Sheet」と呼ばれる職情報フリーペッパーがあった。

これがCMCの入り口や、コーヒーショップに置いてあった。私はこのグリーンシートに掲載さているショールームに焦点を絞って、「セールスレップ」という仕事を見つけることにした

セールスレップとは、日本語で言う「代理営業マン」だ。ブランドを背負って、小売店のバイヤーたちに商品を紹介し、注文を取る仕事。今でこそ、セールスレップを抱えたショールームが日本国内でも登場しているが、当時日本にはほぼ存在していない業態だった。

そしてそこで、人生最初で(今のところ)最後の米国人ボス、ジェームズと出会うこととなる。ジェームズは、ユダヤ系米国人。最初の印象は

「めっちゃ落ち着きない」だった(笑)

同時に頭がいいんだなぁとおもった。
止まることを知らないマシンガントーク。
ショールームに置いてあるブランドや商品の説明を一気にしてくれた上で、

「自分で言うのも恥ずかしいが、とにかくファリングとかそう言うのが苦手なんだ。その辺りをメインにアシスタントして欲しい」と言った

私自身、そこまできっちりな性格ではないが、日本企業でみっちり3年間仕込まれた当時の私からしたら、散乱したオーダーフォームを見て「お安い御用です」と思った。

後からベトナム人の方と結婚したジェームズが、アジア人大好きなことに気づくが、彼にとっては、米国人のアシスタントを雇うより、私のような細々したことをはいっと言ってやっていくアジア人のアシスタントを雇うことの方が、小さい事務所的に良かったのだろう。

さらに当時2つの大きな日本企業のクライアントを抱えていたジェームズにとって、ネイティブの日本人をアシスタントに持つメリットは計り知れなかったようだ。実際、私がアシに入った時から、日本のセールスは↑で、売上にはめちゃくちゃ貢献したはずだ。

彼とは本当に上司と部下としていい関係を持て、尊敬するセールスマンと、ピンで働く起業家としての立ち振る舞いのイロハを色々学ばせてもらった。

独立系セールスレップの孤独と自由をしっかり垣間見せられた。

まさにマイケルの言っていたことはこう言うことか。学校で勉強していても、このダイナミックなファッション業界の流れは、中に入らないと分かるわけない。

いよいよセールスマンとしてのキャリアがスタート!

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