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『最後はネタより人間で笑う M-1グランプリ2021感想』テレビかじりつきVol.22

今年もM-1グランプリが終わった。

モグライダーが最高すぎてモグライダーを褒めるツイートを本人たち以上にエゴサしてる自分がいたりとか、志らく師匠がツイッターでランジャタイについて延々と語っていてランジャタイに侵入されて体内からコントロールされてんの志らく師匠じゃんまるで落語みたいなオチだなと笑ったり、錦鯉が優勝したときの背後のゆにばーす川瀬名人の笑顔が素敵だったなってかCMで積水ハウスのロゴ見るとゆにばーす思い出したり、ハライチの岩井さんはM-1を擬人化したら最高の片想いと告白みたいなドラマを見せてくれたなとか、真空ジェシカのネタは時代を先取りし過ぎていて今後審査員と出場者の年齢や感性の乖離が議論される際のトリガーになりうるインパクトだったなとか、オズワルドはえげつない期待や重圧が周囲から寄せられていただろうに自分たちでそれを上回るほどの負荷をかけてスーパーサイヤ人みたいに超人化していたなとか、ロングコートダディは塙さんがYouTubeで回顧してたように2本目を一番見たくなる魔性の魅力があったなとか、インディアンスは以前は苦手だったのに年々その魅力や凄味に気付かせてくれるなとか、ももは松ちゃんに「3年後優勝顔」と言われたのに対してノータイムで「来年優勝するんで」と実直に返したのが最高にイカしてたなとか、もうあらゆるハイライトが未だに頭の中を駆け抜けている。

僕は漫才のテクニカルな部分に言及できる身分でもないし、毎週地下ライブに通うような熱心なお笑いファンでもないのでこれから記すことな完全に個人的の感想であり備忘録に他ならない。

今年のM-1を振り返ったとき、「相性」と「人間」この二つはキーワードだと感じた。特に人間について。

錦鯉が感動的な優勝を果たした今年のM-1。
最終決戦の投票に迷ったという松ちゃんは「今まで決勝でこんなに悩んだことなかったですね。本当に僅差でしたけど、最後の最後は一番バカに入れようということで錦鯉にしました」と語った。

錦鯉はボケである長谷川さんの底抜けに明るい「バカ」を強調したネタが特徴だ。単純明快なのに見ているこちらも自然とツッコミたくなるようなアホらしさが魅力で、ワンフレーズごとキャッチーな破壊力を持つ。

M-1にはよく運と実力の両方が必要だといわれる。運はえみくじによる出順が最たるものだろう。実力はネタのクオリティはもちろん、それを本番で100%以上発揮できる技量と胆力が求められるが、もはやネタ選びの時点で命運は左右されている。

今回、運のほうにも実力のほうにも、それぞれもう一つ確実に要素が加わったと感じた。そしてその要素に一番適合していたのが錦鯉だった。

出順だけでなく、大切だった相性

運のほうでいえば「相性」。
"食い合わせ"とも言うべきか、ほかのコンビが披露するネタ・芸風との相性も勝敗に大きく影響するのだなと感じた。東京漫才の完成形とも評される緻密で隙のないオズワルドの牙城を崩せたのは、おそらく呆れるほどバカバカしい輝きを放った錦鯉以外には無理だったように思う。オズワルドにとって一番相性の悪い、いわば天敵のような存在が同じタイミングで最高の仕上がりを持って立ちはだかった。実際、オズワルドの伊藤さんは最終決戦で自分たちの前にネタを披露した錦鯉によって「完全にフラットになってしまった」みたいなことを言っている。オズワルドが1本目最高得点を叩き出して首位通過をして得たイニシアチブが完全に剥ぎ取られてしまったのだ。

今年は変化球や飛び道具みたいなコンビも多く、王道的な漫才で無類の強さを誇るオズワルドにとっては頭ひとつ抜けての完勝も想像できたと同時に、真逆の展開もほんのわずかに想像できた。そして事態はその真逆に転がってしまった。完全に食い合わせが悪かった。

「やっぱり和食っていいよね」となるはずが、ゲテモノやジャンクフード、ラテン料理のオンパレードによってむしろオズワルドの最後は「質素な精進料理」のように映ってしまい、物足りない印象を与えてしまった。そう考えると運は決してただの出順だけでなく、一緒に出場するほかのコンビとの「相性」もかなり重要になってくる。そればかりは自分たちだけではどうにもできない。

相性×出順の兼ね合いによって、本当は300ヤードOver出るはずの飛距離が思わぬアゲインストを喰らったかのように想定の7割ぐらいで着地する。オズワルドの2人はそんな心境だったに違いない。メッセージ性の強いロックや味のある演歌の後にシティポップが流れてもなんだか薄味になってしまう。今後のM-1ではファイナリストが出揃った際、単なる出順や有名無名に注目するだけでなく、各コンビの芸風による相性にも注目したい。

錦鯉のバカバカしさは大いに受け入れられた。
もしかするとモグライダー、ランジャタイなど初ファイナルを踏んだくせ者たちの存在が、今大会のバカバカしい土壌をアシストしたのかもしれない。美川憲一を気の毒に思ってさそり座の女をがむしゃらに当てに行くポケモンみたいな男とか、ネコに体内への侵入を許して将棋ロボになってしまう奇天烈な男とか、「アホらしさや荒唐無稽であること」に対する審査員の許容量が過去の大会と比較しても拡がっていて、そこに錦鯉が浮くことなくドンピシャにハマった。

バカというワードは審査員の上沼恵美子が昨年の大会でマヂカルラブリーにも褒め言葉として使っている。「バカでしょう? でもバカバカしさが突き抜けるのは芸術」

それは奇しくもハリウッドザコシショウが錦鯉の長谷川さんに掛けた「バカも突き詰めりゃエリートになる」という格言にも重なる。まるでドラゴンボールの中でサイヤ人の王道から外れた地球育ちの悟空がベジータに言ったセリフみたいだ。

ネタを凌駕する人間力

もうひとつ、実力のほう。

これはネタのクオリティやセンス、漫才の巧さとかだけではなく、優勝するにはいよいよ人間性・人間力・人間味が乗っかる必要がいっそう増してきたなという印象。もはや、それも実力のうち。錦鯉はその点誰よりもズバ抜けて持っていた。松ちゃんの「最後は一番バカに」というのも、解釈によっては「ネタ」ではなく「人間」に魅了されたから投票したとも取れる。

昨年のマヂカルラブリーの優勝も同年のR-1で野田クリスタルが優勝してそのキャラが認知されていたことが追い風になったともいわれている。またM-1で一度やらかして、えみちゃんにお叱りを受けた過去や絶望もすべてドラマになってマヂラブ2人の人間味に繋がり、その人間味なり人柄が見えるからこそ笑える、というところに至ったように思う。得体が知れない面白さもある一方で、得体を知ったからこそ安心して面白がれるということもある。

錦鯉のネタを見てアドバイスを贈ったことでも知られる同じ事務所の先輩、バイきんぐの小峠さんも以前ロンハーでパンサーの向井さんと対談した際に「人間」の大切さを説いていた。

そいつに合ってないことをやっても面白くない。本気を感じない、無理してやることはつまらない。嘘はテレビを通して伝わってしまう。そんなふうに小峠さんは熱弁していた。向井さんが尾形さんに対して怒鳴ったり呆れたりするツッコミを引き合いに、アレは本気を感じるから面白いと。

小峠さんは芸人が発するツッコミについて気持ちや熱が乗っているかをかなり重視している。過去にはブレイク前のぺこぱにもその必要性を説いていた。以前の金スマでぺこぱにしたダメ出しを振り返ってもいた。

オズワルドがM-1アナザーストーリーで語っていた「ナチュラルさの追求」もここに繋がってくると思う。本人たちが心からノっておらず、すこしでも違和感や無理がある言動は観客に伝わるし、威力も知れている。わかりやすい理屈だ。

ネタでいえば、ツッコミを発する人間そのものよりも台本のセリフが見えてしまったらアウト。

これは『バナナサンド』でバナナマンの設楽さんも言及していた。

本人が言いたくて言っているかどうか。人間味が出ているか。同じことはナイツの塙さん、サンドウィッチマンの冨澤さんも言っている。

2019年のM-1では、中川家の礼二さんもインディアンスに対して「素が見えない」「誰かにやらされている感じ」といった批評をしていた。

これだけ実力のある芸人が共通点して語っていることだから真理なのだろう。

発した人の気持ちが乗っかり、人間味が鼻をつんざくほど滲み出たコトバは、間違いなく面白く、心に響く強さを帯びる。

前述と同じ回のロンハーで、さまぁ〜ず大竹さん×かまいたち山内さんの対談でも「人間」について語られていた。この世界で売れるには、運によるところが大きい。何がいつ、どうなるかも分からないと。
ただひとつ、分かっている大切なことは「人柄」であると。売れっ子はみんな人柄がいいと大竹さんは語っており、山内さんも同意していた。

人柄が良い・人間的魅力がある、そんな芸人さんが人間味をたっぷりとブレンドしたボケやツッコミをぶつける。体重の乗った右ストレートみたいに重いそれは破壊力が違う。僕らはその笑いの先に人間性を見て、ウケるよりさらに奥の"魅了"にまで持ってかれる。それを人間力と簡単に言っていいのなら、その人間力の部分でほかのコンビたちよりもわずかに上回った分、錦鯉の2人は優勝できたのかもしれない。

サポートが溜まったらあたらしいテレビ買います