椿宝座の全貌動画を見た。 正直これを見てかなり椿宝座に対する印象が変わった。いい意味で。 変わったというより更新されたってほうがニュアンスは近い。適切なアップデート。 それほど8人のことを全然知らなかったのである。知らないものに対して人は警戒する。防衛本能が働く。 要は見方が分からないのだ。 お笑いの話になるけれど、M-1グランプリ2017年の決勝ステージにマヂカルラブリーが初めて出てきたとき、彼らは大いにスベッていた。漫才終わりの平場でもチグハグな立ち振る舞いで審査
昨日は渋谷LOFT9に出張版四天王部屋に行ってきた。 ゆるくて和やかで多幸感に満ちていて、ほんとうに4人のホームパーティに招待されたような空間だった。MAPAは4人とも自由で負けず嫌いでそれぞれ違うベクトルのマイペースさがあって見ていてたのしい。私服でリラックスしている彼女たちを眺めてるだけでこちらまで安らぐ。 何度も書いていることだが、MAPAは異質なグループである。王道ともカウンターとも違う、わかりやすく定義もコピーもつけられないアイドル。そもそもアイドルっぽくもない
先日、り子ちゃんの生誕祭行ってきた。 会場はビアレストランとして有名な銀座ライオンのクラシックホールだった。 銀座駅をてきとーな出口から出てしまったため、会場までは少し歩いた。3連休の中日なのもあって外国人観光客や買い物客でひしめく大通り。土日の銀座通りは約1キロに渡って歩行者天国になるので、いっそう街はテンションが高く賑やかだった。 ただ銀座の良いところは歩行者天国になるだけでなく、そもそも他の街と比べても歩道が広いこと。それに銀座の街ってガードレールがないのだ。車を
吉祥寺の武蔵野音楽祭の2日前、代官山UNITで行われたMAPAのライブには行けなかった。この日サマーシューターやアイドルを辞める日が披露されたと知り、羨ましかった。 そして10/28(土)の武蔵野音楽祭 完全に行けなかった代官山を取り戻せるセトリだった。 音楽祭に合うアイドルらしい楽曲を続けてから蒼夜で"これぞMAPA"というような情緒と叙情が混在する真骨頂にナチュラルにスライド。 余韻を疾走感に変えるSUMMER SHOOTERを挟んでからポエトリーも印象的な怪獣GI
「1050%ぐらいでやったので」 →1050ってチョイスが意味わからなくて好き 「もっと女の子から憧れる女の子になりたい」 →これぞTOKYO PINK Soulって感じ 「大好きです」 → 「言い残したこととかありませんか?」って質問に対して、自分の出来不出来とか展望とか意気込みとか夢とかじゃなく「だいすきです」って真っ直ぐ即答するのは素敵 「大森さんの曲を聴くのが大好きです(手話)」 →純真過ぎてドラマのワンシーンかと思った 「私が救われる側じゃなく次は救う側だと
久々にセンター街を抜けたらドラクエの沼地を歩いてるぐらいHPが減った だれとも目を合わさず早歩きで進んだ 渋谷ミルキーウェイに向かう途中、壁のようなビルがそびえたつのが見えた。ネオンの光が膝ぐらいまで照らして上から半分ぐらいは闇に染まっていた。 アムウェイの本社ビルだった。 同じウェイでもミルキーのほうに用がある人間で良かった MAPAの出番は20:30で、トリだった 平日のライブでも場所によってはこの時間であれば間に合うことがあって嬉しい MAPAのライブ告知は出
活字でも映像でもどちらでも、人が自分の想いを語るインタビューが好きだ。 それこそ街録chだったりドキュメント72時間だったり。最近のバラエティなら『日曜日の初耳学』という番組で、林修先生が役者にインタビューする企画があるんだけれど、それは出る役者もそのファンも全員得しかしない毎回素晴らしい内容でお気に入り。 だから今回の新生ZOCへの想いを吐露するメンバーのインタビューはとても良かった。 6人が6人ともすごく正直に語っているなってのが率直な感想。 率直でない語りってバ
村上龍の文章だったと思う。 「美しいものと一緒にいると、自分は間違ってないと思える」 共感する一方で、美しいものと共存するのは自分の浅はかさや陳腐さが浮き彫りになるようで、立ちくらみもする。影に潜んでいたのを初めて照らし出されたみたいだ。 生きれば生きるほど出来ることが増えていくように感じるけれど、同じぐらい何が出来ないかも思い知らされる。 向き合わなきゃいけないことが山ほどある。漠然や曖昧を超えて、手に入れなきゃならないものがある。 世の中には途方に暮れるほど凄い
共感するからイコールいい曲なわけじゃない 歌に限らず、文章でも映画でもドラマでもなんでも、共感を狙いすぎてるものは受け付けない あるある聴きたいわけじゃないから 例えばnote事務局がお薦めするnoteとか一度も読んだことないんだけど、 それらの記事からは「こういうの好きでしょ?」「共感するでしょ?」が滲み出すぎていて苦手だ 共感や承認や認知が先行してその人自身から湧き出た切実さや思考回路が全然乗っかってない既視感と手垢にまみれた借り物みたいな文章の遺灰 共感はあく
ライブ前から「どうせ今日も最高なんでしょ?」って気持ちで臨んだけど余裕で裏切られないからさすがだった。 MAPAの他に2組のアイドルがいるスリーマン。企画メインのLiVS、Zeppでのワンマンまで決まってるSOMOSOMO。 SOMOSOMOの最初から観ることができたけど、赤い衣装に身を包んだ彼女たちはその赤み同様に情熱的なパフォーマンスだった。速くてノリの良い曲をノンストップで展開し、途中でMCを挟まず熱気を途切らせまいとする疾走感だった。 一番手でフロアは完全に温ま
えむまっぱに行った人たちの感想を読むと本当に素晴らしいライブだったんだなと澄み切って伝わってきた。 ひとつの岐路に立つMAPAについて、ヲタクの気持ちを汲んでコショさんが語ってくれたらしい言葉も、『マジックミラー』の歌唱へと続いたえむちゃんのMCも、文字面を読むだけで胸に迫るものがあった。特にえむちゃんは想いの丈を語るイメージがなかったので、彼女の心境や芯に根ざした熱さを知るには掛け替えのない時間だったろうと想像する。 リアルタイムで生でそれらを浴びたヲタクの感動は計り知
初めてMAPAを観た今年の大森靖子歌舞伎町祭でも、初めてMAPAのリリイベを立川の屋外ステージで観たときも、紫凰ゆすらのことはさして印象に残らなかった。 その名前とキャリアを以前から知っていたコショさんや、端正なSサイズのお顔から信じられないほど強くて抜けるような歌声を降り注がせる宇城茉世ちゃんのほうが印象は鮮烈だった。 実際に当時、歌舞伎町祭りの感想を綴ったnoteを読み返しても、おれは紫凰ゆすらに一切言及していない。 なぜ彼女に惹かれるようになったのか。 たぶん彼
MAPAを推し始めてそこまで長くないはずなのに、もう随分と長いこと一緒に駆け抜けた感慨がある。コショさんがMCで言っていたのはホントそれで、こんな濃厚で楽しい夏をかつて味わったことはない。 何色も色を付けてくれて、塗り重ねて遊んでくれた。最後に聴いたサマシュは、屋外のリリイベやコショさんが手掛けたMV、紫凰ゆすらが編集したそのメイキングや現場で見知った人たちの表情とか、すべてが走馬灯のように走って胸がいっぱいになった。 濃密で長かった。 楽しい時間は一瞬、退屈な時間の体
音楽も絵画も小説も、役割を果たし終えることはない。ベートーヴェンやドストエフスキーは延々と誰かを救って影響与えているし、クラシックとか〇〇主義とか、便宜上括られはされど錆びはしない。「古い」は、相対性と個人の解釈に過ぎず、一度生まれた芸術は古くならないし、役割を果たし尽きることだってない。 2008年のZepp Tokyoで聴いた銀杏BOYZ ×YUKIの『駆け抜けて性春』も、函館で聴いたGLAYの『BELOVED』も、渋谷クアトロで観た矢沢永吉も、地元山梨で観た大森靖子も
行ってきました。 小さい空間で見る靖子ちゃんも当然良いけど、あの歌のうまさ強さを緩急自在に広い音域で轟かせるには、ホール規模はやっぱ良い。傾斜も効いてて、前で立つ人が気にならない見やすさだったし、音もよく響いた。『マジックミラー』の「あたしのゆめは」からのアカペラ部分はその象徴だった。 「今日のセトリ最高だった!」のではなくて、持ち曲すべてが良いから毎回そうなるんだなと合点がいった。今日改めてぜんぶの曲が超いいなと思ったよ。ライブでは音源の良さを何十倍にも魅力増しにして届
TOKYO PINKヲタのみなさん、いかがお過ごしでしょうか? ようやく秋めいてきました。夏と秋のグラデーションの境界は年々曖昧になっていますね。何着たらいいかわかんないって、会社でもXでもほとんどの女子が言っています。 トーピンって毎日必ずトピックを繰り出してきて、すごくないですか? 靖子ちゃん、やりたいことやみんなに楽しんでほしいことが湯水のように湧いて仕方ないんだろうな。 商魂もたくましい。 トーピンだって会社だし、社員や所属アイドルがいるわけで、ビジネスの観点