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商人日記 2020年10~12月

フェイスブックTV番組「しあわせのお料理道具」が 最終回を迎えました。 動画を通じて商品を紹介する番組でしたが、その放送局であるぷれまTVさんを ご紹介下さったのがレンタルスペースFarmersの木村和明さんでした。 また、木村さんをご紹介下ったのが、豊橋市役所の文化・スポーツ部の伊藤紀治部長でした。 そんな時、NHK「日曜美術館」で写真家のソール・ライターの特集が組まれていて、 ライターの展示会に訪れていた人が何気なくライターの生き方を語っていました。 「人間がすごくローカルに生きれば生きるほど、より普遍的になる。」 フライパン倶楽部の今後の方向性を感じた言葉でもあり、この「ロカールに生きる」ことを ぷれまTVさんが後押ししてくれる可能性を感じました。 そこには、歴史に裏付けられた個性でありアイデンティティ、そのものらしさが表出して参ります。 そんな自由は誰もが求めているものでしょう。 そして、それは求めていくこと、新しい出会いを重ねていくことで近づいていくものでしょう。 新年に向かって、自分が自分になれる新たな挑戦をして参りたいです。 2020年12月28日

わが故郷を舞台としたNHK朝ドラ「エール」が幕を閉じました。 エールとは、送られる人だけではなく、送る人も元気にすると感じました。 それは、音楽でも同じで、聞く人だけではなく、歌う人および作った人も元気にする。 両者ともに元気になる。その意味では、買う人だけではなく、売る人も元気にする。 そこで見えてくるのが、互いの豊かな関係性であり、それが人間にとっての普遍的な価値でしょう。 エールの主人公は、楽曲作りに何か足りないものを感じていましたが、 その足りないものが見つかったと最終週で語っていました。 「いつ会っても出会ったころのように騒げる仲間がいる。 これ以上の幸せってあるのかな。何よりも尊いのは、人と人とのつながりだと思う。」 このように音楽が人と人を結ぶものなら、商人が提供する道具もまた然りでしょう。 まずは、そこを見つめて仕事に取り組んで参りたいです。 このドラマによって、視聴者はもちろん、制作に携わった皆さんも元気になったのではないでしょうか。 このドラマを生み出した古関裕而夫妻をはじめ先人たちに敬意を表したいです。 2020年12月3日

豊橋生まれでノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊さんがご逝去されました。 わが故郷では、科学技術の振興に大きく貢献した「もう一人のまさとし」さんを忘れてはなりません。 吉田(豊橋)藩の藩主であった大河内松平家に婿養子となった大河内正敏さんです。 大河内さんは、理化学研究所で主任研究員制度を導入して、 すべての主任研究員を同じ立場に置いて、研究テーマ・予算・人事などの権限を付与します。 そこで育った同じくノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎さんは、「科学者の自由な楽園」と表現して語っていました。 「研究にとって何より必須な条件は、なんといっても人間である。 そして、その人間の良心を信頼して全く自主的に自由にやらせてみることだ。」 大河内さんは、その楽園で生まれた研究を事業化して稼ぐことで、科学者を育てたのです。 その精神を継承したのが小柴さんであり、生前熱く語っていました。 「人に言い付けられたからやると言うことは一切なかった。私はそれが一番大事なことだと感じている。 皆さんに言いたい。『これをやりたい』と自分で意思決定するのが一番いい。」 2020年11月21日

会社とは何なのか。最近それは、人を作る場だと感じます。 その人とは、社長である自分はもちろん、社員一人一人の成長の場である。 このコロナ禍の今までとは違った状況は、人が成長する絶好の機会でもあります。 逆境の時こそ人は成長するとも感じます。 それを「命に感謝して、命を育む」と表現されているのが、イノチオホールディングスの石黒功社長です。 「愛情をもって社員とかかわり、社員の成長のために全力を尽くす」 この言葉を自社のホームページに掲げています。 そんな石黒社長が、奥様とご来店下さり、社員の結婚御祝のお品を探しておられました。 「自分の手で人生を切り拓いていく願い込めて、その象徴である包丁を贈られたらいかがでしょうか。」 そんな私の提案に賛同頂き、包丁を購入頂きました。 それは、自分にとっては、大きな自信となりました。 自社の社員だけではなく、他社の若手社長を育てる視点もお持ちなのだとも感じました。 そうなると、石黒社長に恥ずかしくない仕事をしなければと襟を正されるのです。 今一度、受けた愛情に感謝して、社員の命を育んで参りたいです。 2020年11月14日

芦田愛菜さん主演の映画「星の子」を夫婦で観て参りました。 親の信じる宗教あるいは世界観のもとで育ち、そこから自立していく物語でした。 いつしか親は自分の信仰を子供に押し付けてしまうことがあります。 しかし、信じることは個人の領域であり、家族という繋がりを越えたもの。 その点で、信じる世界は孤独です。 ただ、それゆえに、人真似ではない自分の意思が立ち現れます。 そして、愛情を受けて独り立つこと、そこに本来の信仰があります。 その点で、信仰は自立と結び付いています。 愛菜さん演じる中学生ちひろの環境は、両親の信じる新興宗教が、世間的には異質な要素があり、 社会の中ではさまざまな葛藤が生じます。 その葛藤を通じて、傷つきながらも、自分の信じるものを模索して行きます。 そこで陥る孤独と不安。それを乗り越えてこそ、見えてくる光がある。 かたや、今日の子供たちが育つ環境は、事前にその葛藤を取り除いてしまい、自立を妨げていることがあります。 特異で固有なそれぞれの境遇は、時に人生の障害と見えます。 しかし、真摯に向き合えば、自分を見つける宝物となります。 2020年11月5日

掛川森林果樹公園に出掛けましたが、そこに二宮尊徳の銅像があり、「積小為大(せきしょういだい)」 という言葉が刻まれていました。小さな努力の積み重ねが、やがて大きな収穫や発展に結びつく。 それは、信用を積むことでしょう。 今日政府は、コロナ禍の中で、さまざまな施策を迅速に打っていることは敬意を表します。 ただ、国債発行あるいは、紙幣を増刷することには、慎重になるべきでしょう。 紙幣である日本銀行券は、金貨のような価値はなく紙きれに過ぎませんが、そこには信用があります。 その信用こそ、先人たちの労働の対価として形成されてきた。 それが二宮尊徳の教えでもあり、その労働には、勤勉を美徳とするモラルがありました。 しかし、金融政策のもとで紙幣を増刷することは、そのモラルを壊しかねません。 子供たちに借金を残さないことではなく、汗水働いて稼ぐことの尊さを継承することが本質のように思います。 小売業とは、小さく売り続ける業と書きますが、その労働こそ、紙幣の価値を生んでいると考えます。 そんな小さな仕事を地道に行って日本銀行券の信用を守っていきたいです。 2020年11月2日

豊橋市の市長選が近づいています。ちょうど、この時期に豊橋市行財政改革懇談会の委員となり、 市の財政のことを学んでいました。市の貯金である準備金が少なくなっているものの、 かたや老朽化した建物や道路等を維持していく必要が差し迫っている。 すると、お隣の岡崎市で一足早く市長選があり、 一律5万円を市民全員に給付する政策を掲げた新人候補が当選しました。 現職で落選した候補者の敗戦の弁は「財政を知らない人の政策だ。」 国家財政を見ると、借金である国債残高は897兆円(税収14年分相当)と年々歳々膨らんでいます。 不足したら国債を発行すれば良いと考える傾向が強まっている様相です。 しかし、これは将来世代へのツケに過ぎません。 その点で、自分たちの納める税金が何に使われているのかを市民が正しく知ること。 そして、市長は財政の実状を市民に分かりやすく語ること。 すると、危惧していたかのように、豊橋市の候補者まで同じ政策を突然掲げました。 幸いすぐに取り下げましたが、財政を知らなければ、正しい選択ができないかもしれません。 市長を選ぶ前に、市の台所事情を知るべし。 2020年10月30日

故郷豊橋の長尾巻牧師から感化を受けた賀川豊彦のことを調べていた時に、 「妻恋歌」という詩を知りました。 賀川は神戸の貧民窟に単身で入って行きます。 その後、しばらくして妻ハルが賀川と結婚して、この貧民窟に入って生活します。 賀川の覚悟はもちろんですが、結婚39年目の妻に贈った右の詩を通じて、 その妻の覚悟に心を強く打たれました。 「わが妻恋し いと恋し 三十九年の泥道を ともにふみきし妻恋し 工場街の裏道に 貧民窟の街頭に 共に祈りし妻恋し 憲兵隊の裏門に 未決監の窓口に 泣きもしないで たたずみし わが妻恋し いと恋し 千万金を手にしつつ 襦袢(じゅばん)の袖口つくろいて 人に施す妻恋し 財布の底をはたきつつ 書物数えて売りに行く 無口な強き妻恋し あられに霜に雷鳴に 傘もささずに走り行く 強きわが妻いと恋し 緑の髪は白くなり 肌には深き皺よせて 若きかんばせ(顔つき)失せゆけど 霊のわが妻いと恋し めしい(盲人)の夫の手を引きて みめぐみ数える 妻恋し 一九五〇 ・ 一二 ・ 六 これだけが私のあなたへのクリスマスプレゼントです。」 この詩を通じて、夫婦のあり方を教えて頂きました。 2020年10月20日

本日から豊橋まつりの開催でしたが、コロナ禍の中で、今年は中止となりました。 そもそも豊橋まつりとは何か。 昭和21年に豊橋市が中心となり市民祭を開催。昭和26年には、豊橋商工会議所に協力を依頼。 商工協賛会を結成するものの商売色が濃くなってしまう。 全市民参加の盛大なものを目指して、伝統ある祇園祭に合流して開催するものの失敗に終わる。 そこで、豊橋商工会議所では「豊橋まつりの糸口を見つける会」を結成して、 総代会、婦人会、青年団、経済界、報道関係者を巻き込みます。 まつりとは何か。本質的な議論を深めます。 その時、戦後間もない占領下にあり、公の場で戦没者を追悼できませんでした。 そして、わが故郷は軍都であったため、多くの戦没者とその遺族がいました。 そこで、東三河招魂祭を開催して、その協賛行事として、再生市民祭である第一回の豊橋まつりを挙行します。 商人こそ、先人たちの生き様に思いを致して、感謝および恩返しを主導していくべきでしょう。 ただ、今日では、万人が追悼を自由にできること。 そして、原点に立ち返り、まつりの目的をみんなで考え直す時です。 2020年10月17日

わが故郷出身の村井弦斎の小説「食道楽」では、幸福を右のように提示していました。 「八畳敷の座敷を我が居室と定めてその中に悠々自適するの覚悟があればその人は 自ら幸福を感じ得られますが八畳では狭い十畳にしたい、十畳では狭い十二畳にしたいと 何処までも欲望を進めていったら千畳敷の座敷へ入っても満足の心は起こりません。 幸福とは何であるといえば自ら満足するという事です。 満足は何であるかといえば覚悟の範囲を充たすという事です。 良人(おっと)は妻に満足し、妻は良人に満足するのが幸福です。」 人間の欲とは、「ここまで」と範囲を定めた覚悟がなければ、どこまで行っても満たされない。 かたや、覚悟の土台にある人間の意思とは、そこに信じることも働けば、その通りとなる。 覚悟とは、自分の分あるいは人間の分を知ることであり、それを素直に受け入れる意思でもあります。 本来自分が受けるには相応しくないのに、一方的に頂いたことへの感謝が溢れてくる。 その覚悟にこそ、自らを律する本来の自由が潜みます。 その覚悟や自由は、台所および食卓で育まれます。 2020年10月8日