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商人日記 2022年1~3月

豊橋で介護通所施設「宅老所たんぽぽ」を運営されていた大須賀美恵さんがお亡くなりになりました。 大須賀さんとお会いした当時は、ご主人と義母さんのお二方の介護に取り組まれていた真っ只中でした。 そして、お二人を見送り介護保険が始まった75歳の時に、新しい事業を立ち上げます。 多くの皆さんを巻き込んで、ご自分の経験を生かして、ご自分と同じように介護で苦労している人たちを支援します。 私の祖母も晩年に通所してお世話になりました。大須賀さんは、その昔、祖母が運営する料理教室に通っていました。 そして、祖母がよく私をおぶっていたことをお話してくれました。 「高津君、高津君」と孫のようにかわいがって頂いて、私の前では、心の内をぽろりと出してくれました。 「はあ~」と深く溜息をするのですが、その顔はいつも笑っているのです。 それは、たんぽぽの花のように、踏まれても踏まれても、また何事もなかったかのように起き上がる。 そして、周りの皆さんが大須賀さんを支えていた。 自分とは何者か。自分は何をなすべきなのか。たんぽぽで開花した大須賀さんにならいたいです。 2022年3月17日

アントニオ猪木さんが、闘病されているドキュメンタリーに涙しました。 モハメッドアリ選手との武道館での一戦は、私も当時テレビに釘付けでした。 その猪木さんが、病気と格闘している姿は、ショックでもありました。 思うようにならないご自身の身体に、真摯に向き合っていました。 あくまでカメラの前では、冗談を交えながらも、燃える闘魂たるアントニオ猪木なのです。 病身でも健気にアントニオ猪木を演じる猪木寛至さんに、プロレスラーとしての矜持を感じました。 そこにまた、違った視点での猪木さんの強さが表われていました。 そこで、猪木さんは、プロレスを通じて、人生への向き合い方を教えてくれていたのだと悟りました。 当時、その敵がタイガージェットシン、スタンハンセン、ハルクホーガンであろうと立ち向かっていった。 番組の最後で、闘病している猪木さんが映し出されて、あのテーマ曲が流れたのです。 もちろん、猪木(ボンバイエ)頑張れ!の気持ちはあるのですが、それはファンの我儘なのかもしれません。 もうメッセージは十分届いています。頑張らないで猪木寛至さんでいて下さい。 2022年3月4日

NHKのEテレ番組「Zの選択」に涙しました。1995年以降生まれをZ世代と呼び、 地元で働く理由のタイトルで、気仙沼で漁師になった若者のドキュメンタリーでした。 父親を尊敬して、中卒でその世界に入り、悩みながらも、ひたむきに生きている。 彼は、漁師という仕事に、また故郷の海という仕事場に憧れていました。 かたや、思うようにならない現実も素直に受け止めている。 印象的であったのが、自分が漁師になることを告げた時に、ご両親がため息をついたと。 しかも「深いため息だった。」寂しそうに、ぽつりと語っていたのです。 それを聞いた私も、深いため息が出てしまいました。 親の仕事を継承することがままならない現実に、親世代として申し訳なく思いました。 また、いわゆる、3Kと呼ばれる環境下での仕事は避けられていますが、 そんな環境で働いている人がいて、私たちの生活が支えられている。 そこに敢えて挑む若者こそ後押しするべきであり、そんな人たちが誇りをもって働く社会こそ健全だと思います。 「その選択、素晴らしいなあ~」彼への敬意とともに、彼を抱きしめたくなりました。 2022年2月18日

豊橋まちなかスロータウン映画祭の20周年記念で俳優・役所広司さんのトークショーがありました。 司馬遼太郎の長編時代小説を映像化した「峠 最後のサムライ」が本邦初公開。 役所さんは、主演の長岡藩家老の河井継之助を演じていましたが、 映画「日本のいちばん長い日」で演じた阿南惟幾陸軍大臣と重なりました。 そこに覚悟するを思いました。徹底抗戦が叫ばれる陸軍内で敗戦処理の重い任務を全うします。 自決に及ぶ悲壮な状況の中でも、日常と変わらない態度である阿南惟幾を演じていました。 なぜ、あのように冷静でいられるのか。それは、役所さんの仕事である演じることに手がかりを感じました。 覚悟した人とは、客観的に自分を見つめて人生を俯瞰できる。 あるいは、もはや自分を諦めているから、その先の明日を見つめる自由を得ている。 かたや、演じるとは、自分の主観および感情に左右されない自由な境地に至れる。 そこに、能楽の舞のような静謐な覚悟が漂う。河井継之助曰く「カラスは光に向かって飛んでいく。」 この人生舞台で、高津由久を演じるために、自分を捨てて光を追求して参りたいです。 2022年1月31日

高校時代にお世話になった小笠原文武先生とは、35年以上も年賀状のやり取りが続いていました。 毎年、干支にちなんだ自作の版画。ところが、今年は、最後の年賀状と印刷されていました。 先生は、数学教師。図形とは。軌跡とは。それらを言葉で表現して暗唱させる。 証明問題は、結論から導いていく。ノートは整然と美しく書いていく。先生の指導スタイルは斬新でした。 そして、誕生日には「おい、高津、今日はおめでとう。」関わる全生徒に、この声掛けを通年実施。 また、先生は「おい、高津、生徒会立候補してみないか。」その言葉をきっかけに 前後期とも2期務めて生徒会にはまります。立会演説会では、真面目に演説したことを 見知らぬ先輩が朝日新聞に投稿。「おい、高津、曲者として載っていたぞ。」 卒業後も、豊橋商工会議所の機関誌で、私のことが記事になると 「おい、高津、嬉しかったぞ。」先生の最後の年賀状には「由久君には良い思い出ばかりです。」 私も先生には良い思い出ばかりです。 いよいよ困難な時代を前にして、先生の厳しくも真剣な眼差しは、あるべき態度や覚悟を教えてくれています。 2022年1月10日

新年明けましておめでとうございます。 お正月二日午後に、実店舗の火災報知器がなり、しばらくするとサイレンを響かせた消防車がやってきました。 店舗界隈は、物々しい雰囲気となりましたが、私もそこに居合わせたものの、幸い火災はありませんでした。 どうやら、火災報知器の誤作動であったようですが、年末年始の休みなく働く皆さんの貴き姿を垣間見ることができました。 ただ、この年始に駆けつけて下ったことに、何となく申し訳ない気持ちととともに、 改めて多くの皆さんの見守りがあることを覚えました。 平穏な日常は、多くの皆さんの尽力と犠牲があって守られている。 そんな皆さんのことを想うと、不思議と新しい年への不安が飛んでいくようです。 「あなたは、ひとりではない。」そんな無言のメッセージが聞こえて参ります。 消防士の皆さんは、寒風吹く中で2時間も原因究明にあたり 「またベルが鳴ったら出動しますね。」淡々とその場を去って行きました。 私も同じく、与えられた目の前の仕事に真摯に取り組んで行きたい。 お騒がせしたものの新しい年に挑む気構えを頂きました。 2022年1月4日