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大谷は「好事魔多し」の罠にはまった? 「水原一平は博打依存症」をそのまま信じていいのか?

なぜ、水原は嘘をついた、否、嘘をつかざるを得なかったのか

水原氏の青菜に塩の表情を見るだけで、(詰んだな)と思わざるを得ないですね。なぜ、彼はこれほどの大失敗をしでかしてしまったのでしょうか。

ことの発端は、水原氏が「違法賭博」にはまって巨億の借金を作ったことです。その額は、およそ7億円!困り果てた水原氏は、大谷の預金口座から盗み出したとされていました。しかし、一介のたかが通訳の男がどうして他人の預金口座にアクセスできるというのでしょうか。

実は、「水原氏が窃盗を行った」というのは、大谷の弁護士がついた嘘です。本当は、大谷が損失の補填を水原氏に頼み込まれて、やむなくその代金を肩代わりして支払った。これが真相です。しかし、これではヤバい話になることを危惧した、弁護士は「口座から盗まれた」という芸のない嘘をついたわけです。

そして、水原氏も「スポーツ賭博がカリフォルニア州で違法であることを知らなかった」と釈明したうえで、「大谷選手の口座からブックメーカー側に送金した」と話した。なぜ、彼らはすぐにバレるような嘘をついたのでしょうか。

アメリカ法では、違法賭博の借金を助ける行為をしていた場合、その人も違法賭博に関与しているとみなされる。だから、借金を補填したのであれば、違法賭博援助になる。

大谷が違法賭博と知っていた場合は、アメリカに住めなくなる可能性がある。さらに、水原氏は「借金の返済を依頼し、大谷選手自身が振り込みをおこなった」と証言している。そして、「大谷選手の名前で送金が行われた」という客観的事実もある。

「彼は、助けてくれると言ってくれた。彼はわたしのために返済する決心をしてくれた」というやり取りがあったと話した。大谷がこの事件に関与していた場合、永久追放もありえる。状況証拠はかなり危ういことになっている。

さて、水原氏は「私はギャンブル依存症です」と語っているが、それは違うんじゃないですか。ギャンブル依存症とは、競馬・パチンコ・宝くじなどの“賭け事”を続けたいという欲求が抑えられなくなる病気のことです。

 賭け事がやめられなくなるというメカニズムは脳の高揚感を感じる仕組みに異常が生じているからであると考えられており、1970年代に“病的賭博”という正式な病名として認められるようになった。

ギャンブル依存症の明確な発症メカニズムは解明されていないものの、脳内の「脳内報酬系」、いわゆるドーパミンと呼ばれる部位の機能に異常が生じることが原因の1つと考えられている。

確かに、報酬系ドーパミンは異常な興奮をもたらしてくれる。私も、星座が牡羊座なので、この傾向は強いし、実際、これまでも博打はやってきたし、基本的に好きです。

しかし、博打に負けても、借金をすることはなかった。なぜなら、どんな博打でも、勝率は5割をわるからです。例えば、競馬で言えば、最初から25%が控除されている。残り75%をみんなで分け合うわけです。

しかし、博打はなんでもそうですが、決して公正なものではない。八百長があったり、枠番の決定のように、胴元が特殊な罠を仕掛けていたり、或いは、裏を知る大口の勝負師もあったりと、普通の人が賭けると、ほぼ負けになってしまう。

だから、水原氏のように負けを取り返そうとすると、それは、ほとんど不可能なので、さらなる深みにはまってしまう。だから、こうした行動は、決して依存症などではない。これは、純粋に、その人の「性格」によるものです。

例えば、大王製紙の創業家に生まれ、42歳で5代目社長に就任した井川 意高(いかわ もとたか)氏は 会長時代にカジノでの使用目的で子会社7社から総額106億8000万円を借り入れ、そのすべてをカジノで溶かしてしまった。彼は、社法違反(特別背任)の容疑で逮捕され、12年に懲役4年の実刑判決を受けた。

しかし、彼はギャンブル依存症ではない。ただ、彼は、「徹底的にやってみたい」という好奇心が強すぎ、かつ、それを叶えるだけの潤沢な資金を持ち合わせていたにすぎない。その証拠に、今は、「もう博打は飽きた」と早々と博打からの離脱宣言している。ま、好奇心が充分に満たされたということなのでしょうね。

だから、水原氏が「私はギャンブル依存症だ」と、まるで病気のせいだと言わんばかりの釈明には納得できない。ただ、彼は、性格が弱すぎであり、かつ、それと正面から向き合えず、「病気なんですぅ」と逃げ道を探すような卑怯さがあるというだけの話にすぎない。

好事魔多しという。これは、「調子がよいときほど、邪魔をされたりミスをしたりして痛い目にあうもの 」という意味である。花に嵐ともいう。ドジャースと一千憶円の契約を結び、さらに意中の人と結婚までした。まさに、この世の春を謳歌していると言わんばかりの花盛りだ。

その絶頂期にこそ危うさがある。しかし、サッカーの伊藤純也氏といい、大谷翔平氏といい、人が好いのもほどほどにしないと、身内の裏切りや罠に嵌められますよ。「人生は罠ばかり」「油断大敵雨あられ」 「祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり」とは、よく言ったものですね。


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