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つい「正解」を探してしまう日々の話。

ちょっと仕事が立て込んでおりまして、余裕が無いです。

こんなことを書くと、自身の程度の低さとかポンコツ具合を露呈するようでお恥ずかしい限りですけれど、仕方ありません。これが私なのですから。

社内で大きめなサービスがローンチされたのですけれど、あっ「ローンチ」という言葉が一般的かどうかは分かりませんが、他に言いようが無いのでこのまま書きます。要するに、担当しているサービスが、実際に大勢の人たちに使ってもらえる状態になったわけですけれど。

まぁ不備がものすごくたくさんあるし、問題も山積みなわけです。言ってしまったらアレですけど、それを内部的に作りこんでいるのは私ではなく、外部の業者さんなので、どうにも歯がゆい思いをしているんですよね。

ただ、その発生している問題の全部が全部、その業者さんのせいかというと、そうじゃないというのは分かっています。それを設計したり何だりというのは、私の所属する社内のチームなわけですし、「アンタらの言う通り作ったんだけど」と言われてしまっては返す言葉もありません。(まぁ現状、言う通りにも作られていないんですけど・・)

そのような状況の中で、とても申し訳ないことなんですけど、どうしても自分には「この状況をどうしても改善させなければ!」という熱意を持てずに居るわけです。

簡単に言うと、考えれば考えるほど粗が見えてくる状況で、悲観的になれば歯止めが利かない状況で、モチベーションを保つのが難しくなってきているわけです。

自分の満足するテストもできていない状況で無理やりにサービスが開始されて、山ほど発生した不具合を突き付けられて「いつ直るんだ」とか「これはどうなっているんだ」とか言われながら、間に立って情報を受け渡す日々。

何が正解で何が正解じゃないか分からなくて、何だかもうホトホト疲れてきます。

最初のほうは「こうしたらいいのかも」と思っていたものの、今ではその気力さえありません。アチラを立てればコチラが立たず。もういっそ正解なんてないんだろうなと思い始めています。

「正解のないこと」それは時に「問題解決におけるやりがい」みたいな扱いをされることもありますけど、ただ目の前に並べられた、自分とは遠いところで生まれた責任を切り捌いてこなしていく日々にとっては、心をすり減らす凶器にしかなり得ないよな。なんてことを思います。

「始まったらいつか終わる」そんな言葉を胸に、ただひたすら日々の忙殺に押しつぶされないよう、自分を守る毎日です。ここ最近。疲労。おしまい。

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