目的よりも手段を愛す話。
突然ですけど、とあるゲームが我が家でブームです。
それは「Duolingo」というスマホアプリです。
一言であらわすなら、語学アプリなんですけど、結構楽しいんですよね。単語を選んだり、フレーズを入力したり話したり、そういうのがゲーム感覚(まあゲームなんですけど)で学べる。
しかも、なんか経験値とかコイン的なものもあってそれを増やしていく感じとかも楽しい。ランキングなんかもあったりして、妙に闘争意欲みたいなのがかき立てられますね。無料プランでも、割とやり込めるくらい充実してます。気が付いたら毎日続けてやっちゃってます。
もともと私も妻も外国語学習自体は嫌いじゃなくて、そういう遊び感覚で学べるアプリが今回ピタッとハマった感じです。それから、小学3年の息子もこのゲームが気に入って、毎日ポチポチやってます。
私は大学の頃の第二外国語の名残でフランス語を選択、妻は中国語、息子は英語。選ぶ言語はそれぞれ違いますけど、同じプラットフォームにあるのでお互いどういう状況か分かって面白いです。
あと私は、韓国語も学びたいのでそれも選んで進めてます。複数言語も選べるんですよね。こっちはあんまり進捗良くないけど。
さて、ここまでなんか宣伝的なことを書いたわけですけど、本題。
じゃあこのアプリで何が出来るようになりたいかとか、別にそういうのを私は求めているわけではないのです。
そりゃ色んな言語を話せたり読めたら楽しそうだなぁとは思いますけど、私の場合は、そういうフワッとした「目的意識」みたいなのを持つと途端に上手くいかない傾向があるのです。
下心って言うんですかね。
しっかりとした目標とか強い信念みたいなものがあれば良いと思うんです。でも私の場合は「これ出来たら便利だなあ」とかそのレベル。つまりそれって「別に出来なくても問題ない」わけです。
そういうフワフワした目的だと、続けるのも辛くて、何なら続けるモチベーションは気付いたら消えて無くなっています。
それなら、いっそ目的なんてどうでも良くて、楽しいからやっている。それで良いんじゃないかと思うんです。
それが、手段を愛する、ということ。
このアプリによって、未来がどうなるか分かりません。何も習得できないかも。でも楽しいから良いじゃん。それだけなわけです。
まあ、これで家族みんなペラペラになったらすごいですけどね。期待せずに遊び続けようと思います。おわり。
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