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やっぱり自分には採用は出来ないという話。

ふと何だか怖くなりました。

いえ、怖いというか不安な気持ち。

採用に関する話。
ちょっと書きますね。



何気なく、昔自分の勤めていた会社のホームページを閲覧しました。

すると、今年度の新人紹介ページのようなものがあって、そこにプロフィールが載っているんですよね。顔写真こそ無いものの、どこの大学のどこの学部を出たとか、この会社に決めた経緯とか、今後どういう仕事をしていきたいとか。そういうことが書いてあるわけです。

そういうのを読んでいると、すごく性格は悪いですけど、「ああ、この子たちは、こんなに良い大学を出たのに、どうしてこの会社を選んだのだろう」ということを思ってしまいます。

というのも、その会社は、特に大企業というわけでもなく、もっと言ってしまえば中小企業(零細企業)であって、仕事自体も人材派遣に近いものでした。

誤解の無いように言いますと、規模の小さい会社や人材派遣を悪く言うつもりは一切無いです。ただ、その会社では、個人的にどうにも納得がいかない部分がありました。入ってから気付くという愚かっぷりですけど。

端的に言うなら、お金の稼ぎ方が嫌でした。

たとえば、如何にスキルの無い人であっても、スキルを持つ人と一緒に現場に送り込み、そうして働いた分のお金を発注元から頂く、というビジネスモデルの会社でした。

私は当時、別業種から転職してきて、スキルもそこまで高くなく、実績もほとんど無かったのにも関わらず、面接のその場で採用されました。

その時は「話を聞いても実績はあんまりよく分からなかったけど、あなたに期待している!」と社長から言われて嬉しかったのですが、いざ現場に入って色々なことが見えてきました。

前述のように、スキルの低い人も、言葉は悪いですが抱き合わせでお客さんのところに送り、他方で、経営幹部の人たちは、日がな一日本社でただ時間が過ぎるのを待っているというような構図。

しかも、この業界の中で何か特出したビジネスモデルがあるわけでも、画期的なサービスを開発しているわけでもありません。そして、このご時世、この業界では他のゴマンとある会社でも、似たようなことをしているのです。

同じことを続けていれば、いずれ淘汰されていく。そのようなビジネスでした。

私はその将来に恐怖を抱き、その会社から離れました。

これが、もし自分の子供がこの会社で働くことを決めたなどということを想像してみると、何とも背筋が凍るような思いがするのでした。本音を言ってしまえば「やめておけ、こんなところは」と。

ですから、その会社のホームページに掲載されている、前途有望な高学歴の新入社員のプロフィールを見るにつけ、なんとも悲しい気持ちになってくるのです。その子の親たちは、どういう思いで彼らをここまで育てたのだろうと。

ですが、そう思う反面、「じゃあ、自分がもし経営者だったらどうするんだろう」という気持ちにもなりました。経営者ではなくとも、その事業を支えるため、新たな人材を採用する業務に就いていたら、と。

その会社の中で採用活動を行うとしたら、どういう人を採用するのか。

履歴書が送られてきて、まずはその情報から判断する。でも、全ての応募者と会って話すことができれば良いですけど、時間的だったりパワー的にはそこまで割けないでしょう。すると、履歴書や職務経歴書などに書かれた情報をもとにするしかないわけです。

新卒であれば、まずは学歴とか、それと志望理由。最近では「ガクチカ」って言うんですね、「学生時代に力を入れたこと」とか。

そういうのを見て行ったときに、よほどヤバイことを書いていたなら別として、そうでないなら、私はやはり学歴とか意思みたいなのを重視するんだろうなと思います。

良い大学が全てってわけではないですけど、その大学に合格するために費やした努力みたいなのが、ある程度保証されると言いますか、そういう視点で「きっとウチに入っても頑張ってくれるだろうな」と思ってしまうからです。

実際、社会に出てから痛感するのは、学歴と仕事の出来不出来が比例するとは限らないということです。しかし判断基準が無いんです。私が判断するとなると。

では中途採用ならそれが分かるかというと、それも自信がありません。

何よりスキルを重視すれば良いだろうとは思うのですが、果たして、経歴書に書かれた仕事のアレコレとか、はたまたポートフォリオ的にその人が作成した成果物を確認することができたとしても、それが果たして、実際に会社内でバンバン活躍することができる保証にはならないとも思うのです。

それなら、逆張り的な思考はどうでしょうか。
しかしそれも私には無理でしょう。

たとえ学歴が低くても、今まで大した実績が無くても、その人が会社のビジネスにぴったり合ったのなら、大きく活躍する可能性はあります。

ですが、その確率はいかほどのものか、私には想像もつきません。筆記よりも面談で人柄を。そうやってたかだか数十分の面接の中で一体その人が会社でどう力を発揮できるか、分からない。分からないけど、期待して雇ってみよう、と。

そしてそういう採用のことを世間では何と言うか。「ポテンシャル採用」と呼ぶのでしょう。

で、結局は、新卒だろうが中途だろうが、ポテンシャルだろうが、会って話を聞きたい人(落とす人)が決まったら、今度は実際に会って話を聞く。それで受け答えとか、なんかよく分からないけど仕事してくれそうな感じの人(技術的な専門的な突っ込んだ話もしてみるのでしょう)だと分かったら、採用、と。

とはいえ、そうやって採用した人が果たして本当に会社にとって欲しかった人材だったかどうか、それは何年いや何十年か経ってみないと分からないかもしれません。

なぜここまで私が採用全般に関してネガティブな態度かと言いますと、それは私自身が、学歴やスキルも特に高くないのに、そうやって採用されてしまっていることを思うたびに、「一体、会社の人事や採用担当者は、私の何を見ているのだろう」と思ってしまうからなのです。

何より、私がその会社に採用されたときに社長から言われた「話を聞いても実績はあんまりよく分からなかったけど、あなたに期待している!」という言葉こそ、ポテンシャル採用そのものだったと思うのです。そして、残念ながら、私はその会社で活躍できなかったという結果があります。

要するに、見る目あるのか?と。

無論その言葉は私に対しても、です。

それを、もし私が採用業務を担当したとして、今度は自分に向けられる目線として、耐えられる気がしないのです。もちろん雇う側に加えて雇われる側の責任もあるでしょうけれど。

そして、話はさらに飛躍して、仮に、新人紹介ページに載っているような高学歴な新人さんたちが「やっぱり優秀だったね、採用は成功したね」となった時に、学歴もスキルも高くない自分が採用されたのはやはりマグレだったということを証明することになります。

となると、私なんかは、どこの会社でも通用しないポンコツだという現実をまざまざと見せつけられ、いよいよ今の会社でしか働くことはできないんじゃないかという不安を抱いてしまうのです。結局今の会社にしがみつくほか無いだろうと。

それが、冒頭に書いた恐怖というか不安な気持ちです。

結局、何が言いたいかというと、人を採る/採らないの判断なんて自分にはできないし、何が合うか合わないか正直分からない。憶測の域を出ることができなくて。何より自分自身に対する「見る目」なんてものも無い私には、やっぱり無理な仕事なんだろうな、と思うのです。

一つ念のため断っておきたいのですが、決して、採用業務を担当する人たちをディスリたいわけではありません。もし自分だったらその重責に耐えられないので、むしろその役を担う人たちのことは尊敬しています。

ですから少なくともここまでで言えることとしては、今後もし、私にもそのような仕事をする機会が訪れた時には、私のように「合わない」と思った人は早々に選考から外してあげることが、双方にとって何よりハッピーな結果に繋がるのだろうな、なんて漠然と思いました。入ってから「やっぱ違った」ってのが一番怖い。本人も、会社も。それをどう見極めるかというのは分かりませんけどね。

まぁ実際、恐らく昔と比べて人材が流動化しているであろう昨今は、そういうアンマッチな状況すらもしかしたら許容範囲内としてフットワーク軽く動くのが主流だったりするのかもしれないですけど。ただ、個人的には、やっぱり不安を感じてしまったので、たとえ今の環境に不満があっても弱腰になってしまうなぁ。今は。

なーんて、別に担当する予定も何も無いのに採用業務について思いを馳せてみた話でした。ああ、1,000文字前後を目標で抑えるつもりだったのに、気付いたら思いっきり3,000文字超の長文になってしまった。おしまい。

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