見出し画像

無理に自分を出さなくていい話。

なんとなく、ふと最近よく思うこと。

特に慣れない仕事をする際や自信が無かったりする場合には、「自分の色を出そう」とか「自分らしく工夫しよう」なんていうような意地汚い心は、もしかしたら全て捨て去ってしまったほうが良いような気がする。

先人が残したやり方を、とにかく踏襲する。昔ながらのやり方に倣って、愚直に先例をなぞり続ける。いくら真新しいものに見えたとしても、きっと既に、誰かが踏み固めた道がある。たとえば、うんうんと三日三晩悩んでも答えが出なかった問題とかが、詳しい誰かに聞いたら一瞬で解決したりもするということもあるものね。

だからそれに従って、他の人の力を借りて、マネして、そつなくこなすことが、まずは大切。間違っても「俺だったら、誰もやっていないような、こんなことができる」なんて思って、無理矢理に奇抜なことをやってしまうのはだめだ。

誤解を恐れず言ってしまえば、パクリでいい。カンニングでいい。仕事においては、こと社内のプロセス的な業務においては、徹底的に前例をマネしたほうが、圧倒的に上手くいく。

ただし、完成されたプロダクトや、アイデアそのものがクリエイティブの根幹にあたるものなどをパクってしまうと、バッシングや下手したら社会的な信用の失墜につながるケースもある。デザインだとか企画そのものとか、知的財産的なものはさすがにパクったらだめだ。犯罪にもなりかねない。

けれど、仕事の進め方とか、報告書の書き方とか、考えても上手くいかないロジックの組み方とか、そういったものが社内のナレッジとしてあるのであれば、じゃんじゃんパクって利用したほうが良いと私は思う。先輩や上司、デキる同僚の頭の中とか、暗黙知とかでもいい。何なら、ネット上に転がっている公開情報でもいい。要するにノウハウを盗むのだ。

そして、得たノウハウをそのまま使ってもいいけれど、多分そればかりやっていると、「これどうなってんの?」と細かい指摘が来た時に対応しきれない。だから、パクったら、それを骨の髄までしゃぶりつくす。さも自分が作ったように、自分の基礎にする。素材を得たらきちんと理解した上で加工してあげる。ひたすらその経験を積み重ねる。まずは。そうすることで、自分なりのやり方についてのフレームができてくる。自分らしさとかいうものは、そこからの話。必要に応じて出てくるもの。

まず型通りにできるようになって、それで大体のことは上手くいく。けれど、それが長く続いていたのに、突然どうしても上手くいかない壁にぶつかる時が来る。そこで積み重ねた経験や知識をもとに、新たなやり方を考える必要が出てくる。きっとそこで初めて「あなたのやり方」が求められる。

その時、上で書いたような「俺だったら~」なんていうような青臭いものではなくて、「分からないけれど私が知っている限りは、こうしたほうがいいかもしれないですけどね」なんていう謙虚な姿勢から出てくるものがある。それが自分らしさなんだと思う。真似するものが何も無くなって、自分の中から自然と湧き上がってくるもの。

もしかしたら、守破離、という考え方がそれに近いのかもしれない。

守 ⇒ やり方を真似て自分のものにする
破 ⇒ 自分なりのやり方で上手くいくようになる
離 ⇒ 新たに他のやり方が見えてくる

あとはこんなのも似たようなものに思う。

Fools learn from experience. I prefer to learn from the experience of others.

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とかいう訳で有名な言葉だ。歴史なんて仰々しいものじゃなくて、単に他人が残したナレッジという意味としても私は捉えている。別に賢者になろうとは思わないけれど、どうせ仕事をするなら、少ない労力で最大限のパフォーマンスを目指したほうが良いように思う。

トライ&エラー繰り返した末に、自分の方法を確立するのもいいけれど、時間もエネルギーも有限だし。もちろん、トライ&エラーしなきゃいけないようなケースもあるけれど、でも、せっかく他で既に有効な方法があるなら、それを使わない手はない。私の居る業界ではよく聞く言葉だけれど、「車輪の再発明」をしない、ということに近いかもしれない。パクっていいものはパクっちゃったほうが良い。そのほうが気がラク。コスパ良いしね。

と、最近そんなことをふと思ったりする。とにかく今は、やるべきことをやり続けることしかできないかなぁ。焦らず、驕らず、腐らず。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?