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おんぶにだっこ?の話。

先日、テレビのニュースを観ていて思ったこと。

その中で「自分では決められないので、AI(人工知能)に決めてもらいます」みたいな話が取り上げられていました。

ご飯を食べるお店だとか、旅行先だとか、洋服だとか。

なるほどなぁ。そういう使い方になってきているのだなぁと。たしかに、全部自分で決めるって面倒ですもんね。

ただ、なんとなく、ぼんやりと違和感というか、モヤッとした感情を抱きました。いえ、批判するとかではなくて。何だろう、つい最近もこれと似たような話があったなぁ・・と。

そうだ、仕事でも似たような場面があったぞ、と思い出しました。

昨今は、業務やそのプロセスの見直しだとか、効率化だとか、自動化だとかで、仕事そのもののやり方が変わっていくことも増えているように見えます。

私は、会社内の情報システム部門に所属しているため、そのような役割を担う場面も割とあります。

それはそれで文句は無いと言いますか、そういう時代だもんな、そういうもんだよなと思っています。無駄を無くしたり、単純労働を減らしたり、そうやって限りあるリソース(人材とか時間とかお金とか)を適切に使ったほうが良いでしょうし。

ただ、最近、ちょっと気になったことがあります。
すごく具体的な話なんですけど。

すみません、ここから愚痴です。


現在、社内で進めているプロジェクトで、とあるシステムを刷新しましょうというものがありまして。

私は、情報システム部門の中でも開発チームに所属しているもので、今までは自分たちでシコシコとシステムを作っていたわけです。ところが、会社の方針がちょっと変わってきまして、「自分たちで作ろう」⇒「できるだけ外部の業者さんに開発を任せよう」とシフトしていっているんですね。

そういうなかで、外部の業者さんにお願いして今回のプロジェクトも進めているのですけれど、何と言いますか、あまり言いたくないですけど「丸投げ」なんですよね。

よく、システム部門とかシステム子会社が、外部ベンダーに開発を丸投げするのはあるあるですし、私もかつてどちらの立場も経験したことがありますが実際にそうやっている(やられている)場面は何度も見てきました。

が、今回はそれとはまったく真逆の状況で、外部の業者さんからこちらに対して「丸投げ」になっているんですよね。それで何とも戸惑ってしまいました。

たとえばユーザさんから「この機能をこう変えたいです」という要望があったとして、この業者さんは我々に対して「どのプログラムのどの場所ですか」「どのデータのどの項目ですか」「この計算式はどういう仕様にすべきですか」っていう質問をしてくるのですけれど。

申し訳ないですが、質問相手が違っています。その意図とか仕様とかが分からないなら要求を出したユーザさん側に直接確認すべきです。

また、技術的な質問をするのは構いませんけどそれならまず、事前に全て渡しておいたプログラムやデータは出来る限り見ておくべきだと思うのですけれど、会話をした感じの理解度を見ると、きっとその最低限のこともされていないご様子で・・。

そういうのも、全部ひっくるめてこちら側に質問をされると、何とも「?」が浮かんでくるわけです。あくまで我々は今回、開発をする立場ではなくオブザーバーなので。何なら、開発の詳細な仕様決めもしないですし、プログラムを書くこともないわけです。やることは、技術的な見地から「参考情報」を差し出すのみなので。。

あまり言いたくないですけど、正直「そういうのを調査なりヒアリングなりして仕様をまとめて実装するのが、あなた方の仕事なのでは・・?」と思ってしまうわけです。さらに「それらを全部こっち側でやるのであれば、一体あなたたちは何をするの?」とも。

プログラムの一つ一つを指定してその上でどこをどう直せばいいのかなんて教えていたら、それこそ、こっちで直した方が早いんですけど・・。正直、個人的には「自分で作りたい」派なので、あまり外部の業者さんを使うのも気が進まないのですけれど、それは会社の方針なのでやむなしですが。


まぁ、愚痴はこんなとこでもうやめときます。

みっともないですね。文章にしちゃうと。

で、何が言いたいかといいますと、そういう「丸投げ」の先に一体何があるのだろう、と。

面倒な作業とか、苦手な作業、本来自分がやるべきでない作業、そういうのを誰か別の人(人工知能とかでも)に任せるのは良いと思います。実際、「なんでこんなことをやってんの・・?」って思うような非効率的な作業ってありますし。

ただ、じゃあそうやって「丸投げ」することで、自分の時間やエネルギーは空くわけですよね。そこで何をするのか?

冒頭の話に戻りますけど、そのニュースの締めくくりでは「そのおかげで、本来自分がやるべき作業をすることができる」みたいな結論になっていました。

「本来自分がやること」

・・ふーむ?

他にもよく「機械で出来ることは機械に任せて、人間がやるべきことに集中しましょう」とかもありますね。

「人間がやるべきこと」

・・うーむ?

私には正直、そういう「人間しか(何なら私しか)できないこと」みたいなのがよく分からないんですよね。

そんなにみんな、やりたいことがあるのか。色んな判断をすっ飛ばして、誰かに任せて、そうやって確保した時間で、何をやりたいんだろうと。そういうのがはっきりとは無い私は、純粋に羨ましいのかも。

というか逆に、ひねくれた言い方をするなら「人間しかできないこと」はそれこそ山のようにあるのでは、とも思うわけです。

一つ一つの作業を見れば、改善する点はたくさん見つかるだろうし、全体を良くしようと思えば、やっぱり構造的なデザインをやり直すことが必要になるわけで。そういう仕事って、規模が大きい小さい関係なく、やっぱり人間がやるしかないようにも思います。「こうするぞ!」っていう大元の思いと言いますか。

もちろん、改善作業そのものを人工知能などの非人間が代替可能かと言われれば多分そうなんでしょうけれど。でも、「コレ要らない、アレ要らない」って言っていってどんどん切っていった先に、何がある?

「さて、自分しかできない仕事を!」という状況になっても、何となく、そんな大層な仕事なんてものは残っていないような気がするんですよね。分かんないですけど。

これは別に「やっぱり人工知能なんて要らないよなぁ」ってことが言いたいわけでもなくて、その逆に「人工知能バンザイ!」ってことが言いたいわけでもなく。

何と言いますか、人それぞれの使い方や価値観があってもいいと思いますし、そのことについて私は賛成も反対の立場も無いです。

でも、根本的には、そういう便利なサービスとか最新の技術とかって、何も人の仕事を奪う敵だったり人を退化させる悪いものだという解釈をするのではなくて、あくまで「同僚」とか「アドバイザー」くらいの位置に過ぎないよなぁ、と思うのです。

だって、現状、AIに聞いたら全て100%完璧な回答が返ってくるわけでもないですし(それでも精度はどんどん上がるでしょうが)、他方で「おお、それめっちゃ良いじゃん!」って思うような画期的な回答とかもありますよね。

しかし結局、それを使うのは人間である我々で。

判断だったり意思決定、「自分はどうしたいの?」という希望、そういう根源的な行動みたいなのが主軸であることには変わりなくて、人間以外に代替できる仕事というのはあくまでその役に立つツールとして使うので十分。

言ってしまえば、むしろそれくらいの機能しか無いように思うんですよね。あくまでサポート。「何したいの?」が分からないなら、それを後押ししてくれるだけ。

それは力になることもあれば、役に立たないこともある。過度な期待も良くないし、かと言って蔑みすぎても勿体無い。

結局、「何をしたいか?」に対するその選択をしたという人生は自分のものですし、何ならその責任は、たとえ判断を委任したとしても、他の誰でもなく自分にしか無いわけですから。

そういうわけで長くなりましたが、結論。

無駄を削ぎ落とすのはそれは結構ですけど、いつか大事なものまで捨てないように気を付けておきたいものです。

なんか過激なこと言っちゃったかな。嫌な気持ちになる方が居たらごめんなさい。

おんぶにだっこ、そのメリットだけではなくデメリットも忘れないようにしたいよなぁと思いました。おわり。

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