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Twitter をやろうと思ったけど上手くできなかったので、SNS について思っていることを書いてみた話。

タイトルそのまま。

以前、note にはバックアップ機能が無いので、自分で任意のタイミングで記事データを Excel 化したり別媒体にインポートできるようにしてみた、という記事を書いた。

で、その時は API を使用して実現したのだけれど、せっかくであれば Twitter も併用してみようと思った次第。API と言えば Twitter であると何処かで聞いたことがあったからだ。具体的には、note の記事をランダムで抜き出してツイートするような bot 的なものなんかを考えている。

とりあえずアカウント自体は作れた。
https://mobile.twitter.com/asaburosan

が、Twitter アカウントは開設できたものの、開発者向けアカウントにするためにはどうやら電話番号の登録が必要な模様。それは別にいいんだけど、電話番号を追加しようとすると、なぜか SMS が届かない。

なお、SMS とは、ショートメッセージサービスの略だ。電話番号宛にメッセージを送ることができるもの。ショートメールとも言うのかな?と思って調べてみたら、どうやらショートメールというのは特定のキャリアが使っていた SMS サービスで、今は使われていないらしい。

で、Twitter に電話番号を追加しようとすると、その番号宛に SMS が届いて認証コードが発行される。はず。なのに、この SMS が全然届かない。音沙汰ない。何回送ってもダメ。やりすぎたら「ショートメッセージの送信上限に達しました」とか言われる。

だから一向に認証できない。端末の不具合かな?と思って再起動してみたり、自分自身で自分の番号宛に、SMS を送ってみたけど、それは問題なし。となると、キャリアの設定なのかなと思い、海外からの SMS の送信が拒否されていないか確認してみたが、そういった様子も特に無さそうだった。えっ、一体なんなん…。

ネットによると、Twitter の API を使うには、英語で申請理由を書かなきゃいけなかったり細かく使用目的訊かれたりとかで、結構ハードルが高いらしい。

でも私はまさかのアカウントを作る段階でコケている。ちょっとレベルが低すぎやしないか。私も「ああ、英語のメール訳分かんないよ!どうしよう!」とか「えっ、このAPIどうやって使えばいいんだ!困った!」とかで悩みたかった。でも出来ない。私は門前払いの状態なのだ。受験とかに例えるならば、そもそも願書を手に入れることすら出来てないわけだ。「願書?ああ、分かった分かった。ちょっと待っておいてよ」って言われてずっと貰えないまま放置されている感じに近い。

とは言え、エンジニアの端くれとしては諦めたくないのだけど、とりあえず打てる手は打ってみた上で現状うまくいかないので、ここはきっぱり手を引いてみることにする。諦めずにトライするのは大事だが、時間は有限だ。上手くいかないことを延々とやるには時間は短すぎる。そしてもしかしたら何もしない時間がある時ひょっこり解決してくれることもある。

さて、そういうわけで、これもタイトル通りだけど、仕方ないので、SNS というものについて考えてみた。

SNS、ソーシャル・ネットワーキング・サービス、の略。

この note もそうなのだけれど、巷には色んな SNS が溢れている。何をもってして SNS と呼ぶのか分からないが、ネット上で個人が表現をして誰かと繋がることのできる空間、と私は捉えている。広義ではこんな意味らしい。

SNSとは、スマホやパソコンを使って人間関係を構築することのできるオンライン上のコミュニティサービスの総称です。

http://www.toha-search.com/it/sns.htm

つまりは人間関係がそこにある。

私は、この note では、気になった記事を読んでイイネしてみたり、その記事を書かれた方をフォローさせていただいたりしているくらいだが、それでも「繋がり」と言えばそうなのだろう。面白い記事を書いている方に山ほどスキボタンしたりもっとコメントバンバン書いてみたいと思うが、シャイでコミュ障なので、なかなかそれが出来ない。ひっそりと、好意を念じながらボタンをスッと押すだけだ。

ただ、私がフォローしている方のことを、私は記事を通してしか知り得ない。そしてそれは、相手の方も同じ。何かの間違いで私をフォローしてくださっている人も、私という存在は、記事を読んでしか何となく想像はできないだろうと思う。幾ら過去の記事をたくさん読んでみても、「ふーん、こんな奴なんだな」と書き手のことを多少想像はできるかもしれないが、実際会ったら多分全然イメージが違っていたりすることもあるだろう。

そう考えると、SNSは、自分だけど自分じゃない、自分の一部を表現する場なのかもしれない。今や、こういう文章以外にも、自分の撮った写真、動画、そして音声という媒体でさえも、SNSという世界の中で、表現のためのツールとして機能している。

そして、ネット社会とリアルな社会。そんなザックリ切り分けられればいいけれど、実際はそうもいかない。

リアルで接していて何時間も同じ時を過ごしていたはずの人だって、SNSのアカウントではまるで別人に見えたりもする。上で書いた、note の記事を読んで想像して実際に会ったら全然違う人だった、の逆バージョンだ。でも考えてみたらそれは当たり前のことだ。実際に会っていたって、その人の頭の中にある全ての思考や考え方を熟知できるわけではない。自分自身を表現する場が無かったり、そのエネルギーを積極的に外に出そうと思わないなら、誰もそれを知ることはできない。

だから例えるなら、ネット社会の自分も「自分」だし、リアルな社会での自分だって「自分」ということだ。

その上で、ネットだろうがリアルだろうが、色んなコミュニティの中で生きていて、その中でそれぞれの人間関係を構築している。何も現代に始まったことではない。昔だって、文通をして普段会わない人と交友関係を持つ文化もあったし、更に昔でも、和歌を読んでなかなか会えない各所の女性に手をつけていた色男だって居たはずだ。そこにあるのは十人十色の人間関係であって、そのどれも「自分」が当事者として参加しているものだ。

個人的には、今まで、mixi とかブログとかやっていたことはあった。けれど、だんだん下火になっていったりサービスが終了していったりで、書かなくなっていった。正直言って、この note も、今は楽しくて毎日誰かの記事を読みに行ったり自分でも書いたりしているが、それも10年後20年後どうなっているか分からない。

ただ、それは仕方ないことだろうと思う。リアルな社会だって、10年後や20年後は、生活や人間関係だって変わっている可能性も高い。今まで交流したことのない友人と一緒に居るかもしれない。それは SNS だって同じだ。新たな交流サイトが台頭しているかもしれない。たとえ、今心酔しているサービスが終了したとしても、きっと人は、自分の胸の内を表現したいというエネルギーは、尽きないと思う。そして、その表現の場で、やはり他の人との人間関係を構築したいという思いがある。

だから、形は変わっても、そこに人が居る限り、多分「繋がり」を求めて、SNSをやるのだろうなと思う。少なくとも私は。

仮に、永遠に Twitter の SMS が届かなくても、私は SNS を止めない。どうでもいいけど、SNS と SMS って似てるね。実は今回それを言いたかっただけです。

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