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見慣れた風景も、今年もあと残りわずかと思うと、ひとつひとつが大事に思える。 あたりまえと思ってしまう日常って、ほんとはあたりまえではない。 いろいろトラブルや課題はあるとしても、”生きれるか”ということに悩むことなく暮らせる毎日が目の前にあること、そう思うと身の回りの全てに感謝の気持ちが出てくる。
なぜ日頃そう思えないのか。愚痴や後ろ向きな考えがどうしても充満してしまう。 身を守ろうとする防衛本能がそうさせるのか。 周りが悪いと考え自分は悪くない、大丈夫と言い聞かせる。
感謝の伝達は広がりにくい。 悪口の伝達は広がりやすい。
伝達って、伝えればそのまま伝わっていく、と思える。 でも内容によって、伝わりやすさというのがありそうだ。
トラブルや良くないことがニュースになりやすいことと関係してるんだろうな。
同じように、身近なコミュニティでも、悪い噂のほうが断然広まる。 これは事実があり、それ最初に自分の解釈で発信した人がいて、 それを聞き伝える人がいて広まる。
だから、最初の”発信者”という役割は責任重大である。
前向きに考える、とはある意味波に逆らうようなものかもしれない。 情報がネガティブで来ることが多いが、間に受けず、本当はそうじゃないかも、 反対側の意見も聞いたがいい、とスタンスをとれるか。 そしてそれが大事と思えているか、でないと流される。
それには仮説が必要とも思う。 性善説。人間の自然本性は善である。 それが軸で、それからのズレを意識するといい。
性悪説でいくと、その逆だから、基本は悪だけどイレギュラー的に今回は善という受け入れは難しい。でもこれが人間の日常になってしまっている!?
大人になるにつれて、人が人に対して諦めてしまっている。 それも自分のことを守るためのノウハウから。
素直は悪用される。そういうこともあるかもしれない。 そういうのを考えているうちに、見えない鎧みたいなもので自分を囲んでしまい、 ”本当の自分”さえも見えなくなってしまう。
一年をきれいに納める。 そのためにも、今の自分の考え方を振り返るのも大事だし、 ちょっとだけ自分に深く踏み込んでみる、時間をかけてみることも必要だと思うな。 時間でいけば5分とかじゃなくて、30分とか1時間とか、それ以上。 自分について考える。 集中力がもたないだろうから、簡単なフレームワークなど使って。 もしくは誰かとの会話で。

#今年のふり返り

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